Diversion

俳優13年⇒学童の先生2年⇒現在飲食業サラリーマン。珈琲豆焙煎人でもある宇高海渡のユルかったり熱かったりするblogです。記事の内容は随時添削する事が多いので、あなたが訪れた2.3日後には少しずつ変化しているかもしれません。ご了承下さい

こうでなくちゃ、がいなくなったら。

どぅも、海渡です。

 

明けましたね。おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

皆さまにとって、2022⇨2023のゆく年くる年は、いかがだったでしょうか?

 

私はといえば、東京駅での年末年始の怒涛の営業を乗り越えて、故郷愛媛に帰省していました。

 

本日より、また東京駅と自宅の往復の生活が始まります。

 

その前に電車の中で、ふと考えついた事をまとめておきたいと。

 

まず、その年のテーマとなる漢字をイメージして、それを自家焙煎の豆で形造り、写真に撮るというのが毎年恒例でやっているマイ行事なのですが。

 

今年はなんだか腰が重く、まだ取り組めていません。今晩にでもやろうかな。

 

漢字自体は決まっているので、後は豆で形を作るのみです。また挙げるかもです🦆

 

さて、今回書きたい内容はタイトル通りなのですが。

「こうでなくちゃ」が薄れてきたなあという実感があります。

 

若い頃からずっとこだわりや、こうあらねば、あるべきというイメージに囚われがちだった私。そして今もその癖が残っていて、それを他者に押し付けてしまう悪い癖があります。

 

それが、34という年齢に達して、20代の頃に比べて明らかに薄れたなあと。

 

それは、自分自身や周りの方の様子を観察する中で、色々な体験を通して現実と理想の間にあるものや、世の理不尽、不条理な流れを、見て・感じて、得た影響かと思いますが。

 

そもそもこうあらねばいけない・べき人間なぞいない。

 

あるとすれば、それはただの妄想か演じる必要がある役割を演じている、或いはそれを誰かに・環境や状況などの何かに強要されていると思い込んでいるに過ぎないと。

 

それを実感を持って「そうだなあ」と思う様になったと言う事です。

 

それは別の言い方をすれば「カドが取れた」と言ったり、はたまた「牙を抜かれた」とも表す状態なのかもしれません。

 

私の主観としては、「前よりも少し他人に優しくなれるようになった。自分の失敗や足らない部分を許せる様になった」と思います。

 

それを顕著に感じたのが、今治帰省の時に行った、地元劇団でのWSです。

 

ムーヴメントの基礎の部分をグループワークで行なった際に、最初から最後まで、理性と感情のバランスが整った状態で指導出来ている自分がそこにいたし、受けている人達も、分からないながらもこちらの指導を素直に聞き入れてくださって、それぞれに短時間で動きの骨組みの部分を吸収して下さっていた。

 

若い時分の頃の私だったら。「違うよ!もっとこうして。そうじゃなくてこうした方が良い動きになる!やって!」

と、無駄に自分の正解や正論を(良かれと思って)押し付けてしまったり、すぐに教えてしまったりしていたかもしれない。つまり、感情が先行して、理性的な指導が出来ていない状態で、彼らの成長を最大限促せていなかったかも。

 

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今回は、あくまでも基本的な考え方を順序立てて伝えて、動き自体の手本は最小限だけやって見せて、後は自分で考えて動いてもらう。

ある程度自分なりにやってもらった上で、「いい感じ、ここはもう少しこうかもしれない。やってみて!」

と、自主性を重んじつつ、補助的な指導のみを伝える事を意識していた。

 

そうする事で、彼らの考える力、身体と脳、心を繋ぐ筋肉を最大限にトレーニングできたかも知れない。(決めるのは彼らなので、あくまでも出来た、とは書かないけれど)

 

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演技指導だけでなく、どんな場面でもそうありたいなぁ。その為にも、普段から自分の人間力を磨かねばなあと。振り返ってみて思います。

 

2023.いい気付きを得られて、幸先の良いスタートを切りました。

 

では、また。

黒い海に身投げして泳ぐ。もがきながら泳ぎ方覚える。

ども、海渡です。

 

随分長いし、物騒なタイトルになりやしたね。

メンタル壊れてるとかではないので(笑)ご安心下さいませませ。

 

先月のアクセス数が500超え、今月すでに200近くと、皮肉な事に俳優現役時代のアクセス数をやすやすと超えてきているこのブログですが…(笑)

 

引き続き、不定期に宇高の「今、過去」をお届けします。気長に、まったりお楽しみ下さい。

 

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写真は、飲食バイトしながら俳優やってた頃にお世話になり過ぎたお二人と。お二人とも本当に素敵な方で、恩師と呼んでます(笑)

彼らが店長で、私がアルバイトという関係でした。

彼らとの出会いがなければ、飲食業の世界に入ろうとは決して思ってなかったと思います。それ位、私に影響を与えてくれたお2人。

 

尊敬する先輩の背中追っかけて、私も奮闘中です。

 

前回の記事を更新してから1ヶ月。

その間にも様々なイベントがありました。

 

テレビ取材・年に二度の店舗の衛生検査・日々のメンバー教育・なによりもお客様に喜んで頂きながら、売上を獲得し続けるという事。

 

月に1600万円以上の純売上を上げながらも、管理者としての新しい業務を覚えたり、身につけたり。

 

正直、常に頭・心身ともにぱんぱんの状態になる事の方が多い日々です(笑)

 

数字と向き合う。

ルール守らない、言うこと聞かないメンバー(笑)と向き合う。

理想のイメージと距離のある現実と向き合う。

能力や資質の至らない自分と向き合う。

 

振り返ってみると、日々起こる問題を解決しながら、向き合う事の質や量が、かなり深く広くなってきた2ヶ月でした。

 

 

上を目指せば目指すほど、「キリねぇなあ」と思いながらも、時々転げそうになったり、足が痛くなったり。失敗を重ねながらも一歩一歩昇っていく感じ。

 

今年の目標というかThemaとしていた「翔」に、まさに重なるなあと思いながら、目の前の問題、中長期の問題の解決に勤しんでる。

 

自分の時間が足りない、もっと欲しいと思うときもありますが、今までの自分が甘かったんだなーとも思います。

足りないなら今の環境、状況で作れる様にもっと考えて、工夫して作れるようになろう、とか。

もっとメンバーに頼る事も覚えよう、とか(笑)

 

結局は自分次第、自分が変われば周りも変わってくれるよね〜という事をあらためて実感したりする今日この頃です。

 

とにかく忙し過ぎる毎日なので、心が荒んでしまいがち。このブログへ今の心境を書いて、客観的になるほどーこうなってるのかと観察したり、趣味のランニングしたり、Coffee豆の焙煎したり。

 

何より未来の成長して独立を叶えている自分と、事業を通してまだ出会ってない誰かに楽しんでもらったり、繋がったりしている未来像をモチベーションに変えて、これからも楽しんで努力重ねていこうと思います。

 

…てか、こんなクソ真面目な内容をどうやってまったり楽しんでもらうと言うのだね?海渡くんよ…(笑)

 

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先日食べてめちゃ美味かったシュークリームでもあげておやつテロして終わろ。

 

では、また!

まとまらないままでいい。とにかく出してみるの回。

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ども、海渡です。

 

「このハンバーガーは本物!」というのを本で知り、先日足を運んだシェイクシャック。

 

確かに"ホンモノ"だった。高いものには相応の価値があるって事がバーガーでも実感できる🍔体験。

 

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最近の自分の仕事人間ぶりには、自分を客観的に見てキモいなと思う位、没頭している。

ただ、飲食業にはそれ位、面白いなあ。深いなあ。と感じさせてくれる、演劇とはまた違う魅力というか、魔力があるんだね。

 

東京駅の地下飲食街でTOPレベルの売上を取り続ける繁盛店の責任者として「もっとこうした方がいい」「ここが足りない」と、今のメンバーでQSCを上げる方策に頭を捻る日々。

 

この3ヶ月で自身の変化に自分で驚くほど、いわゆる「社畜化(この言い方はやっぱり好きではないな)」している。

 

帰りの電車で眠りこけて、駅員さんに起こされる人を見て「カッコ悪いなあ」と思っていたのが、自分が「そっち側」になる日もある。

 

ただ、そんな自分を卑下しているというよりも、「よくやってる」「頑張り過ぎて自滅するなよ」と認めたり励ましたりする心情というか、穏やかに過ごせているので、病んでいる訳ではないのだと思う(笑)

 

30を越えて、新しい業界に足を突っ込み、最速で様々な「生き抜くスキル」を身につける。

それは並の努力では到底成し得ない事、特に私の様な不器用で「理性より経験で学び取る」能力が高い人間にとっては。

 

24歳の時に、

生涯一度でいいから海外の舞台で公演するメンバーに選ばれて立ってみたい。

という夢をロシアで叶えてから、私の人生は「いつ終わっても良い」という余生感から抜ける事は無く。

 

何をやっても、どんな体験をしても、日常(それが舞台の上なら劇中劇)という芝居を演じていて、それぞれの時間が「あーこれもあと何時間で、何日で終わり。はい次。」

みたいな、ある意味冷めた感覚で数年間を過ごしていたなと、振り返ってみて思う。

 

ベラルーシへの言語留学も、今まで体験したことのない刺激と、ステップアップを求めて行ったものの、「なんか違う、これではない。というか何しに来たんだ?☜」みたいな感覚になる事もあった。

行ったことに後悔は無いし価値は感じるけど、それでなくてはいけなかった選択ではなかったと振り返って思う。

 

今はどうかというと。

 

ほぼ一日中働いて、休みの日も仕事の事を考えていて、みたいな生活をしてるけど、全く「こんな生活嫌だな。辞めたいな。」とは思わないし、俳優を演じていた時もそんな感じだった。

 

日々何かしらの刺激的な(笑)テーマや事件が発生するので、「じゃあどうする?今の自分のベストは何?」を否が応でも考えさせられるし、その問題をクリアする度に経験値を積んで、独立する為の根幹の部分を修養している感覚がある。

 

つまりは、奴隷の様に(笑)働いていると俯瞰的に見れば見えるだろうけど、

 

私の主観としては「必要な経験であり、時間の使い方」と捉えられている。

 

それは「そうせざるを得ない自分を納得させる為に言い聞かせている」というものでなく、「そうしたくてしている」という感覚で在る。

 

とにかく人生は一回きりだから、余生感を感じつつも、今の自分が求める目的地に到達する為に。

卑屈にならず、自分の能力不足を真摯に受け止めつつ。

日々ベストを尽くして自分なりの最速、いや。神速の成長をしていく。

 

有言実行ですねぇ。

 

では、また。

着実な一歩

どぅも、海渡です。

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私が勤めるお店の入り口周り全景。これは9月の三連休中の大盛況の様子。空間がもう演劇なんよ。

 

東京駅の地下飲食街「グランスタ」の角店、東京ギョーザスタンドウーロン。

 

ひと月に1500万以上を売り上げる、とんでもない繁盛店です。

 

でも、それは今までこのお店を立ち上げ守ってきた先輩方や、沢山のメディアに関わり取材して下さる方々。

そして何より、旅路の途中に足を運んで下さるお客さんのおかげだなぁと。

 

転職して5ヶ月にして、このお店を任されるなんて。

私としては、本当にプレッシャーを感じるというか、胸がザワザワしながら数字と睨めっこする日々というか。

 

日々、お客さんと関わって感じる事は、

東京駅は本当に出会いや再会・別れの交差点だなーという事。当たり前だけど。

 

「お味いかがでしたか?」とお声掛けした際に、「美味しかったよ!」と返して下さるお客さんとの交流は、少し気恥ずかしいが温かい。

大きな荷物を引きずり入店して下さった方には

「すごい荷物!どちらからですか?」とお声掛けしたら、

「新大阪!仕事で写真撮りにきたよ」と、お客さんの旅路の詳細やストーリーをつまみ食いさせて頂いたり。

本当に、ただしんどい日々ではなく、楽しい場面がいくつも散らばってて、全然苦に感じない。

 

独立すれば、こんな既に軌道に乗ったお店ではなく、真っ新で、誰も知らない、助けてくれない店をこのお店と同じか、それ以上に売れるお店にしていく必要がある。

 

そんな事、可能なのか?と本当に不安になるばかり。

だから、とりあえず今はこのお店の営業を守る、改善できる所はしっかり改善し、より環境を良くしていくつもり。そして、ここで得られる経営に必要な能力や知恵を吸収して、磨いてく。

 

恵まれた環境に、勇気を持って飛び込む決心をした過去の自分に感謝しつつ、精進していきます。

 

では、また。

 

 

怒涛の日々 転職から5ヶ月目

ども、海渡です。

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めちゃくちゃお久しぶりです(笑)

 

そして。なんと、しばらく更新していなかったにも関わらず。

 

総アクセス数20000越えしてました!!!めでてぇ!

 

皆、ありがとう…こんな不定期過ぎるblogに遊びにきてくれて。もうちょい更新頻度を意識するよわたしゃ。

 

何から書こうか…ブログの書き方も薄らいでる感じです。

 

この感じ、逆に新鮮でイイな。思いつかずに探る感じ、インプロっぽくて。

 

ちと、思うがままに筆を進めてみます。

 

まず、2年勤めた学童保育のお仕事を今年の3月末で退職し。

 

4月から今にかけては、東京・立川を行ったり来たりしながら、飲食店のサラリーマンとして働いています。

 

めちゃ楽しくて、あっという間の4ヶ月。

 

こんなに仕事に没頭しているのは、人生で初めてかもしれません。

演劇のお仕事は大体2ヶ月から半年、長いもので1年〜2年間の契約でこれまでやってきましたが、ここまで密度濃く過ごした4ヶ月は、正直ないかも知れません。

 

それ位没頭してます。

 

お仕事の内容は、餃子とクラフトbeerのお店の社員として、日々お客様の接客をしたり、調理したり、アルバイトの皆にどんなお店、空間づくりをしていきたいか、その為にどんな立ち居振る舞いをして欲しいかを伝えたり。

毎日の売上を伸ばす為に色々な施策のサポートをしたり。自分が考えたり。

SNSの発信=営業になる為、日々の更新をしたり。

 

お店という空間を、たくさんの人に喜んでもらえる場所にする為のあらゆる工夫を考え、実践しています。

 

で、ずーーーっとこのままサラリーマンとして働くつもりではなく。

 

5〜7年後(目標)の独立に向けての修行中という感じです。

 

責任あるポジションを任されつつある事もあり、毎日刺激満載で、ギリギリで生きてる感があるのですが(笑)

 

これくらいの方が、私みたいな飽きっぽい性分の人間にとってはイイのかも知れません。

 

今まで役割として、様々な種類の人間を演じ続けて来ましたが。

 

これから3〜5年くらいは、「飲食店勤務の宇高海渡」としての役割を、ロングランで演じ続けてみます。

 

また、これからもブログではちょこちょこ近況を上げていきたいと思います。

 

今まで通り、気長に更新を楽しみにしてくださればと思います。

 

では、また。

 

 

今井純WS「台本のある芝居」クラスの最終日を終えて。

どぅも、海渡です。

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半年間のクラス、本日終わりました。呆気なかったけど、色々振り返ってみると面白かったなあって。

 

勉強、反省、試行錯誤、学びが沢山。

 

今まで磨いてきた刀が使える所、全然通用しない所、違う刀が、剣技が必要な所があったなって。

 

以下、Facebookの記事からの引用(追記あり)を掲載してみます。

 

【最終クラスの学び】


「本番に」実力を発揮する、実力以上のものを発揮出来る時がある、という幻想を抱かない。普段から「いつでも本番」という意識でいる事が肝要。その為の身体創り・mindsetを日々やるかやらないかで差が出る。

俳優は「本番に向かう為に稽古する」のだけど、「稽古で作り上げた以上のもの」が本番でいきなり出来るというのはお客さんが観ている事からの影響、それによる自分自身へのプレッシャー等、何かしらの勘違い=幻想である。

 

それはつまり「神頼み的に本番で奇跡が起こる」論に繋がりやすく、観客にも演者にも「不確実性の高い、ギャンブル的なもの。クォリティが日によってバラバラなもの」という、ネガティヴな要素を感じやすいものになってしまう。

 

舞台・演技は生物。なんだけど、毎回高いクオリティで観客に素晴らしいパフォーマンスを届けるのであれば、普段からそういった日によってパフォーマンスが変化してしまわない様な健康で、強く柔軟な心身を磨いておく。武士が刀が刃こぼれしないようメンテナンスしておく様に。アスリートが毎日トレーニングする様に。言語学者が毎日語彙力・基礎の知識チェックを欠かさない様に。

 

ただ、こういった精神性【大きなイベント・目的に向かって、短期的に集中して大きな成果を生み出そう】みたいなものは、日本の教育の在り方も大きく影響しているんだろうなと感じていて。

小学生の頃から高校を卒業するまで、毎日、同じ机と椅子を使って皆んなで同じ内容を、同じ時間に、同じ方向を向いて、勉強する。(このスタイルは学校の方針によっては大きく異なるけど)

教育委員会、学校という組織内の先生が全部決めた通りの授業、時間の使い方で。(実際にはもっと多くの、大きな組織が介入しているが)


定期テスト」「運動会」「合唱コンクール」など、本来学生の全員が日々意識的にトレーニングしていないものを無理やり短期間でこなして、最大のパフォーマンスを出そう!落ちこぼれは(居てもいいけど)足を引っ張らないでね!


と言う様な空気、同調圧力を感じやすいイベントを繰り返し体験する事で、出来ない人はどんどん自己効力感をすり減らしていくし、出来る人は「なぜ出来ない??私にとっては当たり前なのに」と分断を生みやすい状況を醸成してしまっていたり。

 

みんながやるから、私もやらなくちゃ。


じゃなくて、

 

「(色々考え抜いたけど)やっぱり私がやりたい。だからやるんだ」


「このイベントは(色々考え抜いたけど)私はやりたくないな。だからやらない」


と思える様な環境がもっと整っていくと良いな。

 

競争社会の中でも、「余白(あなたはあなた、わたしはわたし。相互理解をし、無闇に争わないし、競わない。どんな個性、特性を持っていたとしても、お互いの幸せを願いながら生きる…など)」を持てるマインドをそれぞれが持てる様な教育環境があれば、日本の演劇界も、もう少し変わるのかもしれない。

 

もし、これを読んだ演劇界・教育界に属する方に、「お前の観点は浅はか!」と私に対して感じさせてしまったら、それはごめんなさい。

勉強不足な所は真摯に受け止め、より深く考慮できる様に学んで行きます。

 

まだまだ未熟ですが、これからも精進です。

 

では、また。

 

今井純WS「台本のある芝居」クラスの最終日の朝に感じること

どぅも、海渡です。

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coffee✖️朝さんぽ。

ゴミ出しついでに、coffee専用のタンブラーを持って、10分くらいさんぽする。

歩きながら、色々かんがえる。

 

昨年の9月から続けてきた、今井純 台本のある芝居オンラインWSクラス。

本日クラス最終日であり、短いながらも難易度の高めなシーン発表の日。
戯曲読解からシーンを立ち上げる交流において、演技の何を軸に、根拠に、大切に捉え言葉と表情を交わすのか。

自分の13年間情熱を傾けてきた技術を、再構築・洗練させる為の半年間でした。

 

昨日も相手役の方との最終稽古をして感じたのですが…

 

やはり、オンラインの稽古だけでは限界がある部分を(個人の作業で)補完する能力って大切だな、と痛感したなあ。

 

映像の世界でも、舞台の世界でも求められる「主体的」かつ「複数の選択肢を準備、取捨選択しつつ洗練する力」を身につけるには、ワークを受けながら自発的にそのスキルに繋がる自主トレーニングに取り組む必要がある。

 

その「見えない努力」を繰り返し継続して出来るかどうか、がシーンを成立させる、より深く、興味深いものに醸成していくという成果だったり結果に繋がるのだなあって。

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私の場合でいうと、鍬田さん(HPはこちら↓)

https://kaorukuwata.com

に教わってからずっと自主トレで継続している「エフォート」(6つの面、8つの点、重さ✖️空間✖️時間)。

 

「アニマル」を利用して、役の人物の持つ固有の質感やリズム、本質を探っていくというアプローチをしたり。

クラスだけ受けていても「よく分かんない、掴めない」と思う人物の謎を、兎に角使える技術は全部使って探っていく。

 

それこそ探偵の様に。決してスマートとはいえないけど、執念深く、冷静に。

ああでもないこうでもないと、汗水垂らしながら獲得していく。

 

オンラインWSではzoomを使って取り組んでいるけれど、ただのミーティングではなく、あくまでも「演技」「芝居」「各々の問題を抱えた人間同士のリアリズムの交流」を軸に置いて利用している。

 

という前提なので、「画角に収まっていない身体も役の人物」として存在している必要があるし、顔の表情だけで芝居しようとしてしまうと、完全に「顔芸」的な、不自然なやりとりが始まってしまうし、終始表面的な、いわゆる「様々なレベルの内面の顕在化」という繊細な仕事の領域に立ち入る事なく、シーンが終わってしまう。

 

zoomというそれぞれの使う機器(カメラ)から覗く世界から、身体丸ごと演じる人物になっている俳優が交流するからこそ、オフラインとはまた違った魅力というか、映像作品的なものが出来上がる。

 

それは(zoomの様な形式の)「演技・コント系YouTuber」「お笑い芸人のコント」といった作品群とは、また違った領域の作品になる可能性があるし、何よりコロナ禍において「継続的な演技術の鍛錬」という趣旨は達成出来たかなと感じている。

 

また、先週のクラスであらためて感じた、「力を抜く、盲目的な集中力(ゾーンに入る、みたいな)ではなく、メタ認知している自分と役として居る自分をバランス取りながら相手役と交流すること」の大切さ。

 

そして、それが表現の世界において効果を発揮するのは、時間を掛けて蓄積された、「質を伴った」台本の世界、登場人物達の関係性、演じる役を理解する為のインプットがあってこそなんだなーと。

 

よく「全てを削ぎ落として、ただその場に在る、生きる」状態である事がベストだという言われ方をするのだけど。

 

「削ぎ落とす、捨てる」ものが余りにも少ない、そもそも積み重ねる技術がない俳優がそれをやっても、ただのリラックスした「その俳優自身」が覚えたセリフを喋っておる、という状況が生まれるだけでしかない。

 

まずは戯曲読解・研究を積み重ねて、積み重ねて、本番前にはそれらを全て「傍に置いておく、忘れておく」だけ。

 

そうすると、自然と相手と交流しているときに、ふとその蓄積したインプットが、相手役への態度であったり、言葉と言葉の間にある微細な感情の変化、アウトプットだったりに影響していることが分かる。

そして、何よりその「今までになかったプロセス、その発見」を楽しめるし、より演じているシーンを興味深いものにする事に貢献できる。

 

今日のシーン発表にも、そんな気づきや、集積を反映できれば良いなあと思っている。

 

今回はここまで!

 

では、また。