Diversion

俳優13年⇒学童の先生2年⇒現在飲食業サラリーマン。珈琲豆焙煎人でもある宇高海渡のユルかったり熱かったりするblogです。記事の内容は随時添削する事が多いので、あなたが訪れた2.3日後には少しずつ変化しているかもしれません。ご了承下さい

ロングランに出演する俳優としての気づき

 

どうも、海渡です。

 

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もうあと一日で平成の幕が閉じ、令和となりますね。

 

前回のブログでは、1人の人間として平成とはどんなイメージかを書きましたが、俳優として過ごした期間の中で、私がどんな事を考え、実践し、気づいたかを記しておきたいなあと思い立ち、ざっくりと書いていきたいと思います。

 

 

・舞台やパフォーマンスの形式(ストレート、ミュージカル 、ダンス、歌)に関係なく、我々表現者はお客さんがいて、観て下さる事が前提の職である。

 

故に自己満足的な(笑)或いは自慰的なパフォーマンスは観客にとってはマイナスになるケースが多い。(たとえそれがパフォーマーのファンの方であったとしても)

 

表現者は観客の心を浄化し、日常の生活に戻った時により豊かな生活を送って頂けるよう努めるのが理想であり前提の姿。

 

経験値が高くなればなるほど、いわゆる「慢心」があるほどこの前提を忘れがちである。

 

惰性の、全てが整っている表現は観客にとって何の感動ももたらさないどころか、ストーリーだけを追っていく事になり、結果個々人の観客が自身で本を読んでしまった方が遥かに感動が高まる可能性もある。

 

観客は、俳優が想像するよりも遥かに賢く、疑い深く(笑)何よりその時間に期待して劇場に足を運んで下さっている。

 

・かといって、過剰な表現や、反対に消極的な表現をしてしまうと観客は表現者に同調・共感しにくくなってしまう。基本的に表現者は【人間として】ニュートラルな状態(自分自身ではなく、与えられた役として)で存在し、相手役と関わると、観客の同調・共感を得やすくなる。

 

人間としてニュートラルな状態とは、表現者自身の経験や技術による「余計な肉付け」いわゆる型のようなものを捨て去り、台本に書かれた台詞の音色や立ち居振る舞いを完全に決め込んだりしないで、そこにただ役として存在している事。「先に待っている.かつ知っている未来を新しく追体験する」事。

故・浅利慶太氏が仰っていた「居・捨・語る」とほぼ同意。

 

最低限の決め事、ルートに沿って相手役に関わりながら、生き生きとその役として感じ、行動する。その説得力は、リスクを取らない型の演技では到底届かないものである。

 

誰しも安全に、無難に、良いものを提供したいと思う。しかし、演技においてそれは観客が抱く「退屈という名の怪物」にとって格好の標的であり、餌となる。

 

 

・内圧、という言葉を木場勝己さんという大先輩の俳優が教えて下さった。

 

心をコップに例えてみる。コップの中に水を入れ続けるとそのうち溢れてしまうように、役の人物にもそれぞれ異なる大きさ・形のコップがあり、そのキャパシティを超える時が、ドラマティックな展開の場面と重なる。

 

その水が溜まる現象を「内圧」という言葉で表現している。

ドラマが進むにつれて、人物はそれぞれに内圧を抱えている。その圧(水)が溢れるのはどんな時なのか、どんな言葉、あるいは行動で表現するのか。俳優はそこにまず注意を払う必要がある。

 

風姿花伝に書かれた言葉。「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」。これは上に書いた内圧と共通点がある。

 

人は、特に日本人は社会性を重んじる動物であり、心に持つ葛藤や感情の発露を声の大きさや仕草で表現する事は少ない。むしろ、その心の中の内圧を形を変えて表現する。

 

もしそういった「発散」的な表現を使う時は、極めてそうせざるを得ない場合にだけ使う事。

注:(風姿花伝には上記とは違う意図で書かれているが、私にとっての解釈を書いている)

 

観客は俳優の「感じているフリ」を嫌う。そういう瞬間が見え隠れする、あるいはそれしか出来ない俳優を見て見ぬ振りをするか、他の俳優に注目するようになる。

 

・俳優は常に、相手役と今その瞬間の状況に注意しながらも、客席に意識を向け続ける事が重要である。自分の殻に閉じこもり、自身の演技のみ整える事を頑張っていたり、相手役にだけ集中している俳優は、観客にとって「独りよがり」な存在に見える。

 

かといって、客席に意識を向け過ぎると今度は「説明的」になりがちなので、あくまでも意識をする、というだけでいい。

 

・ロングラン公演、特に劇場公演では、その日によって観客の層が違う為、作品に必要なテンポを守りつつも、「その日の観客に合うテンポ」を見つける事で、観客の同調・共感を得やすくなる実感がある。これもあくまでも意識を置くだけであって、意図的に「操作」しようとすると作品や共演者にとって害と捉えられる危険がある。

 

・役も、俳優個人も、その距離を縮めれば縮める程新たな発見が生まれ、より生き生きと存在できるようになる。余計な肉付けをしないで、その役としての作品における役割を十分に果たそうなどという俳優としてのやましい欲を捨てて、ただその役として純粋に生きることが、結果的に観客の心を浄化する事につながる。

 

長々と書きましたが、全てが私の言葉ではなく、感動させられた先人たちの知恵からの引用・解釈もあります。

それらを、知識としてだけではなく。実践し続ける事でまた新たな発見・成長があるはず。

 

 

俳優は死ぬまで成長する生き物です。なぜなら、この世にある全ての表現は、芸術であり答えのないものだから。

その瞬間瞬間にその当事者が「これが答えだ」と信じられるものの積み重ねであるから。

 

私も、見えぬ答えを探し続けたい。

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では、また。