Diversion

俳優13年⇒学童の先生2年⇒現在飲食業サラリーマン。珈琲豆焙煎人でもある宇高海渡のユルかったり熱かったりするblogです。記事の内容は随時添削する事が多いので、あなたが訪れた2.3日後には少しずつ変化しているかもしれません。ご了承下さい

演技メモ

 

実演家としての気づきメモ。

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【俳優が観客の発する意識、集中を感じ取る事の重要性】

 

俳優は稽古で作り上げたルートに従いながら、動作や言葉を発するが、公演する時には稽古には参加していなかった観客がおり、芝居に様々な影響を受け、反応しながら観劇している。

 

しばしば見受けられる現象として、その観客の反応を明らかに無視しながら、あるいは見て見ぬ振りをしながら実演する俳優と、しっかり感じ取りながら実演する俳優に分かれる。

 

感じ取る俳優にも枝葉があり、ざっくり分けると【共有し過ぎる、説明過多なアピール過剰な実演】や、【ただ意識しながら演じる】などが有る。

 

感じ取らないというより、感じ取れない方も存在する。

 

感じ取れない、感じ取る気がない方が、舞台上で使うエネルギーははるかに少なくて済む。感じ取ろうとした時の疲労度に比較すると数倍要している実感がある。

 

感じ取れない俳優にありがちな傾向として、無闇に大きな声を張り上げて、語気を強めようとしたり、紋切型と呼ばれる形の芝居に頼ろうとする傾向にある。また、稽古で行った音や動き"通りにしか"実演しようとしない。

なぜなら、失敗するのが俳優にとっては最大の恐怖だからだ。出来るだけリスクを避けたい。

 

また、相手役や観客からの反応を感じ取るセンスが無い、あるいはその感覚を知らない。(そのセンスを開花させる経験がない、あるいは触れたことはあっても深めていない場合が多いのか)

 

しかし、世界の名だたる名優達のほとんどは、決まり切った音や動きに満足しない。外から見えるものは変わらずとも、彼らの中にある「質」や「感情の流れ」はいつでも変わっても良いとさえ思えている。底知れぬ探究心と、知性、技術の応用によって人物をよりあたかもそこに本当に存在する人かのように演じる。

その方が有機的な存在でいられるし、相手役や観客からのエネルギーを貰いやすくなる。

 

例えば観客の反応で【ここで泣いたり、笑ったりしてほしい】という演出からの要望を叶える為には、この観客の反応を感じ取るセンスが必要になる。例としてその日の観客の層や、どんな雰囲気、この作品に何を期待しているかなどを想像し、舞台上でその雰囲気を感じ取りながら実演する事で、動きや音の質が少し変わったりする。そういった準備があるかないかで、演出のオーダーに応えやすくなる。

 

稽古で行ったもの、作り上げたものはただの「道具」でしかなく、それをいかに使いこなし、その先にあるより良い実演が体現出来るかが重要。

道具をそれなりに使えるようになった、省エネして「こなせる」ようになって満足していては、観客は満足しない。

観客と物語の中で共に生きる、終演後に浄化できる所まで行けてこそ、舞台をする意義がある。

 

このメモは不特定多数の方の目に触れるので書いておきますが、あくまでも持論であり、自戒を込めて書いています。まだまだ未熟である事を自覚して、さらに高みを目指すにはどうすれば良いかを考えるためのもので、同じような経験をしている、あるいは探している人の参考になれば幸いに感じます。