初夏の如く暖かな日に想ふ、遠き友のこと。
【初夏の如く暖かな日に想ふ、遠き友のこと】
今日はとても暑い日だった。もはや初夏。
数年前にベラルーシへロシア語短期留学(という名のただのモラトリアムな冒険)をした時も、同じような天候だった。
初めての一人で海外滞在。学習の日々。
順風満帆とは行くはずもない滞在だった。
慣れない環境と全く話が通じ無い事は勿論ですが、
道端で突然吐き捨てられる「お前は中国人か?それとも韓国人?」「クソアジアン」「よっ中国人(嘲笑)」という差別的な言葉。言葉にはしないものの、明らかにこちらへの嫌悪の表情を露骨に出す方…など。心が折れそうになる瞬間もありました。
あれ、スラングなのにも関わらず意味が一瞬でわかるのって何ででしょうかね?
剥き出しの悪意は即座に伝わるものだから?
(あくまでもそういった人とはたまーに遭遇していて、少数派です。身近な周りの人は困ってたりヘルプサイン出せば助けてくれる人ばかりでした。しかしながら、当然の様に人種差別の対象となるという状況は、当時の私には刺激的な体験でした。)
楽しいという感覚は半月程でほぼ無くなって、自分の夢と、恐らく一生同じ環境は経験出来ないだろうと言える程の場所に適応して、得られる強さをモチベーションにして過ごす日々だった。
そんな中、イラン人の友が出来た。
アミル。
彼はロシア語クラスメイトで、私より少しロシア語の発音が苦手で、文法理解は反対に、私よりもどんどん吸収していった。私達は次第に互いの得意分野を教え合い、高め合う関係となった。
孤独感を感じる中、彼との互いに拙いながらも懸命なロシア語での会話練習の時間が、心のゆとりをもたらしてくれていた。
本当に挫折しそうな時、危うい時、荒波に揉まれている時に側にいてくれた人というのは、決して忘れないものだ。
ある昼下がり、授業を終えた後ビールを飲みに行こうとなり、バーで互いの留学の理由や、バックボーンを語った。
彼は、この留学を終えたら兵役に就くとの事だった。
兵役を完遂し、無事国に戻ることが出来れば、歯医者になるらしい。極めて優秀な人だ。
しかし、彼の友人や先輩達の中には、(当たり前ではあるが)兵役期間中に重傷を負った方や亡くなった方、PTSDを発症し、その心の病を引きずりながら余生を送る方達などが沢山いる事、そうはなりたくないが、家族を養うために行くしかないんだという事を教えてくれた。
生まれた国の違いで、人の運命はこんなにも変わってしまうという現実を痛感した。
彼は今、何をしているのだろう。
兵役を無事生き抜いて、猛威を振うコロナにも罹らず、イランで歯医者をやっているのだろうか。
「アミル、日本に戻っても、君の夢が叶うように応援してるよ。」
「ああ、ありがとう!kaitoもな。」
ビールグラスを鳴らして交わした約束。
もし生きているならば、彼の幸せを心で祈る。
初夏の如く暖かな日に想ふ、遠き友のこと。