己が技を「洗練」させるということ。
早速第一弾のブログ、書いてみますかー。
なんか「回り道」という名前にしたに相応しい、初回から長ったらしい話を書こうとしています。
お時間あれば、どうぞお付き合いください。
今年に入って、舞台俳優としての活動復帰した私ですが。
はっきし言って、「物足りない/納得がいかない」。
何が物足りないって、自分自身の技術が20代前半に比べて、グンと伸びたという実感が全然無いということ。
もっと、出来たんじゃね?もっと、伸びしろあるんじゃね?
これくらいで、満足できないんじゃね?
こんなセルフトークが湧き上がってくることの多いこと多いこと。
なので、決めたんだ。せっかく東京にいるんだし、空いた時間は色々な分野の先輩に会いにいって、もっと技を磨くための方法を教えてもらいに行くと。
7.8.9月でそれが特に強くなったのは、やはり鍬田師匠に再会したからだろう。
身体表現を用いた「役を生きる」ためのアプローチ。
研修所に通っていた時代から、彼女の求めてる、素晴らしい創造の世界と、そこに到達するために出来る事(具体的な方法)はとても自分にとって魅力的だなあと、感じていた。
そして、それは今でも同じだった。やっぱコレやなと。
何が合うかというと、「この道具をこう使えばこうなる」というプロセスの分かりやすさ。そして、私自身の得意とする身体の柔軟性や表現の使い分けが(まだまだ伸びしろはあるものの)マッチしていると感じるから。
もちろん、ムーヴメント以外にも様々なアプローチ法はあるが、どれも観念的なもの、要素を含んでる事が多分にあり、個人的な感性で、しかも外から見て非常に分かりにくい「ものさし」を、膨大な時間をかけて探し続ける必要があるものが多いのだ。
俳優とは、年齢によって仕事が変わる。どうしてもビジュアルや、存在の仕方の説得力がものを言う仕事だから。
今の私では学生はもう演じられない。あと5年後には、20代前半の役も厳しくなってくる。
そんなに時間は掛けていられないのだ。
よって、自分にも、他人にも「変化、特化」した事がわかりやすいというのは、絶対的に有利な条件だ。
舞踊を専門的に習ったり、特化させた事が少ししかない私でも、ラバンのエフォートはとても理解しやすく、かつ洗練させやすいテクニックだ。
あとは、どれだけ自分を適度に「厳しく」変化させていけるか。
それをどれだけ実践的に「応用」に繋ぐ事ができるか。
今後の課題である。
来年には、また愛媛に戻って仕事する事が決まっている。
それまでの間にどれだけの洗練が出来るかが、今後の私の運命を左右するだろう。
やりますぞ。
写真は近所の荒川河川敷。たまにここで歌ったり、踊ったり、ランチしてる男は私です。
ふむ、やっぱり息抜きには重過ぎるよなコレ…!
次回はドーナツの話でも書こうかね(笑)