Diversion

俳優13年⇒学童の先生2年⇒現在飲食業サラリーマン。珈琲豆焙煎人でもある宇高海渡のユルかったり熱かったりするblogです。記事の内容は随時添削する事が多いので、あなたが訪れた2.3日後には少しずつ変化しているかもしれません。ご了承下さい

9000アクセス突破⇒まだまだこれから

 

どうも、海渡です。

 

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瀬戸内工進曲、本日もキャスト一同無事に、お客様に届けられました。

 

このブログに遊びに来て下さる方がだんだん増え、あっという間に9000アクセス突破しました。心より感謝です。

 

そして、あっという間に1万アクセスも超える事になるかと思います。すごいな〜10000回。ありがたい。

 

俳優という職は沢山の方に名前を覚えていただく、そしてその仕事の価値を知って頂く事も大事な役割だと思っています。

 

私はまだまだ未熟ですが、俳優として目指しているレベルはエベレスト山級のレベルを目指しているので、きっとその方向に向かって進んでいけると信じています。

 

たとえ、その理想を阻まれたり、進む道程で蔑まれるような事があったとしても。私は私の道を行くのみ。

 

そんな風に「覚悟」が出来るようになったのも、つい最近です。

 

そうなる前までの私は、のらくら、ふらふらと考え方がブレてしまったり、アマチュア的な発想…モチベーション頼みの行動ばかりでした。

 

自分を甘やかす事も時には大事…ですが、エベレストを登りたくばとことん準備するしかない、結果を出せる努力をしないと。さもなくば死ぬので…(笑)

 

死ぬリスクを取ってでも目指したい、掴みたい未来の為に。今やれる最大限の努力を積み重ねていくのみです。

 

ロシア語の勉強、演技術の向上。人間としての器を広げ伸ばしていく事。

 

まだまだ、足りない。だからやるのみ。

 

さあ、明日の公演もぶちかましますよ。

 

GWも後半。皆さんの連休(じゃない人も)が、素敵な実り多き日々を送られる事を願って。

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大好きないのとんと!(笑)

 

 

 

 

ロングランに出演する俳優としての気づき

 

どうも、海渡です。

 

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もうあと一日で平成の幕が閉じ、令和となりますね。

 

前回のブログでは、1人の人間として平成とはどんなイメージかを書きましたが、俳優として過ごした期間の中で、私がどんな事を考え、実践し、気づいたかを記しておきたいなあと思い立ち、ざっくりと書いていきたいと思います。

 

 

・舞台やパフォーマンスの形式(ストレート、ミュージカル 、ダンス、歌)に関係なく、我々表現者はお客さんがいて、観て下さる事が前提の職である。

 

故に自己満足的な(笑)或いは自慰的なパフォーマンスは観客にとってはマイナスになるケースが多い。(たとえそれがパフォーマーのファンの方であったとしても)

 

表現者は観客の心を浄化し、日常の生活に戻った時により豊かな生活を送って頂けるよう努めるのが理想であり前提の姿。

 

経験値が高くなればなるほど、いわゆる「慢心」があるほどこの前提を忘れがちである。

 

惰性の、全てが整っている表現は観客にとって何の感動ももたらさないどころか、ストーリーだけを追っていく事になり、結果個々人の観客が自身で本を読んでしまった方が遥かに感動が高まる可能性もある。

 

観客は、俳優が想像するよりも遥かに賢く、疑い深く(笑)何よりその時間に期待して劇場に足を運んで下さっている。

 

・かといって、過剰な表現や、反対に消極的な表現をしてしまうと観客は表現者に同調・共感しにくくなってしまう。基本的に表現者は【人間として】ニュートラルな状態(自分自身ではなく、与えられた役として)で存在し、相手役と関わると、観客の同調・共感を得やすくなる。

 

人間としてニュートラルな状態とは、表現者自身の経験や技術による「余計な肉付け」いわゆる型のようなものを捨て去り、台本に書かれた台詞の音色や立ち居振る舞いを完全に決め込んだりしないで、そこにただ役として存在している事。「先に待っている.かつ知っている未来を新しく追体験する」事。

故・浅利慶太氏が仰っていた「居・捨・語る」とほぼ同意。

 

最低限の決め事、ルートに沿って相手役に関わりながら、生き生きとその役として感じ、行動する。その説得力は、リスクを取らない型の演技では到底届かないものである。

 

誰しも安全に、無難に、良いものを提供したいと思う。しかし、演技においてそれは観客が抱く「退屈という名の怪物」にとって格好の標的であり、餌となる。

 

 

・内圧、という言葉を木場勝己さんという大先輩の俳優が教えて下さった。

 

心をコップに例えてみる。コップの中に水を入れ続けるとそのうち溢れてしまうように、役の人物にもそれぞれ異なる大きさ・形のコップがあり、そのキャパシティを超える時が、ドラマティックな展開の場面と重なる。

 

その水が溜まる現象を「内圧」という言葉で表現している。

ドラマが進むにつれて、人物はそれぞれに内圧を抱えている。その圧(水)が溢れるのはどんな時なのか、どんな言葉、あるいは行動で表現するのか。俳優はそこにまず注意を払う必要がある。

 

風姿花伝に書かれた言葉。「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」。これは上に書いた内圧と共通点がある。

 

人は、特に日本人は社会性を重んじる動物であり、心に持つ葛藤や感情の発露を声の大きさや仕草で表現する事は少ない。むしろ、その心の中の内圧を形を変えて表現する。

 

もしそういった「発散」的な表現を使う時は、極めてそうせざるを得ない場合にだけ使う事。

注:(風姿花伝には上記とは違う意図で書かれているが、私にとっての解釈を書いている)

 

観客は俳優の「感じているフリ」を嫌う。そういう瞬間が見え隠れする、あるいはそれしか出来ない俳優を見て見ぬ振りをするか、他の俳優に注目するようになる。

 

・俳優は常に、相手役と今その瞬間の状況に注意しながらも、客席に意識を向け続ける事が重要である。自分の殻に閉じこもり、自身の演技のみ整える事を頑張っていたり、相手役にだけ集中している俳優は、観客にとって「独りよがり」な存在に見える。

 

かといって、客席に意識を向け過ぎると今度は「説明的」になりがちなので、あくまでも意識をする、というだけでいい。

 

・ロングラン公演、特に劇場公演では、その日によって観客の層が違う為、作品に必要なテンポを守りつつも、「その日の観客に合うテンポ」を見つける事で、観客の同調・共感を得やすくなる実感がある。これもあくまでも意識を置くだけであって、意図的に「操作」しようとすると作品や共演者にとって害と捉えられる危険がある。

 

・役も、俳優個人も、その距離を縮めれば縮める程新たな発見が生まれ、より生き生きと存在できるようになる。余計な肉付けをしないで、その役としての作品における役割を十分に果たそうなどという俳優としてのやましい欲を捨てて、ただその役として純粋に生きることが、結果的に観客の心を浄化する事につながる。

 

長々と書きましたが、全てが私の言葉ではなく、感動させられた先人たちの知恵からの引用・解釈もあります。

それらを、知識としてだけではなく。実践し続ける事でまた新たな発見・成長があるはず。

 

 

俳優は死ぬまで成長する生き物です。なぜなら、この世にある全ての表現は、芸術であり答えのないものだから。

その瞬間瞬間にその当事者が「これが答えだ」と信じられるものの積み重ねであるから。

 

私も、見えぬ答えを探し続けたい。

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では、また。

 

 

 

 

 

たまにはお題でも。

 

どうも、海渡です。

 

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坊っちゃん劇場が13周年を迎えました。

 

オープンから3年目までは、「いつなくなるのかな」なんて囁かれていたらしい(笑)この劇場も、今や地域に根差した舞台芸術発信の拠点となりました。

 

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私も、その歴史を作る一員として、5作品も関わることができ、ジモティーとして、俳優として、嬉しく思います。

 

 

【平成を振り返る】

平成とは。

私は昭和の最期の年に生まれた世代。

つまり、平成の誕生と共に人生が幕を開けた世代でもある。

 

今振り返ってみると、文明がさらに発達する過渡期に生まれたんだなあと思う事が多いです。

 

親父が車に抱えて運んでいた大きな携帯電話。

今では液晶をポチポチするだけで買い物が出来たり、調べ物も出来る。

 

学生時代、音楽プレーヤーはウォークマン、MDを使っていた。

 

今ではそれも携帯で再生出来る。しかもネット上で曲も買える。

 

デジタルがここまで発達してしまって、便利すぎる世の中になったなあと思うこともしばしば。

 

 

 

携帯でなんでも買い物が済ませられる=他者との関わりが減るので、コミュニケーションが取れない、取り方が分からないなんていう若者がさらに増える未来は想像に容易いです。

 

とても便利なものは、人の潜在的な能力を駄目にするという視点もあります。

 

便利な事やものに使われるのでなく、適度に使う側でいたいものですね。

 

私にとって平成は、【文明開化と次世代の生活による、豊かな時間】と言えます。

その生活の中で、私は舞台芸術という極めてアナログな仕事に携わっています。

 

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しかし、こういった人の力を惜しみ無く使って、人を感動させられるお仕事というのは、いつの時代も必要なように思います。

 

宇高海渡 HP フォトギャラリー随時更新中です!

https://kaito-udaka.jimdofree.com

 

 

プロフィール&フォトギャラリーHPを作成しました

 

どうも、海渡です。

 

瀬戸内工進曲、プレ公演を無事に終えて、いよいよ明日から本公演が始まります。

 

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皆さま、あらためてよろしくお願い致します。

 

そして、この作品を通して新たな繋がりを頂くこともあるかと思います。

 

その為に、個人プロフィールとフォトギャラリーのHPを作成しました〜🎵

 

https://kaito-udaka.jimdofree.com

 

是非、今までの活動と。公演とはまた違う表情を楽しんで頂けたらと思います。

 

 

瀬戸内工進曲 稽古進んでます

 

どうも、海渡です。

 

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次回作、の稽古が進んでいます。

演出の錦織一清さんが織り成すアイデア、ドラマの構成に伴い、どんどん進化する言葉、動き。良い化学反応を起こす仕掛けをどんどん提示してくれる音楽岸田さん&歌唱指導西野さん、振付神在さん。

それに果敢にチャレンジ、体現していく俳優達。

少しでも円滑に稽古出来るようサポートしてくれるスタッフの皆様に。心から感謝です。

 

昨日も通し稽古や、歌、ダンスの稽古に取り組み、まだまだ荒いものの、完成に向かって着実に進んで行っている手ごたえを感じました。

 

今回のカンパニーは、例えて言うなら…

ドラゴンフルーツ!!

 

f:id:kaito91actor:20190328190732j:imageこれね。

 

見た目とっても個性的で、かつ中身が「あっ、えっ、そういう人なん??」という面を持ってる。もちろん良い意味で!

 

そして皆共通に、芝居好きなんですね〜(笑)

 

ビジネスライクな感じ!ではなく、人情というか…臭いが有るんですよね。あ、匂いか(笑)

 

そんなお一人お一人の魅力を、存分に引き出し立てる。そんな存在でありたい。もちろん、私が生きる人物も見せ場があるので、しっかりと魅力を感じて頂けるようにも。

 

しかしながら本日は休暇を頂いたので、存分に甘えてみることにしました。

 

朝から、絶対に観たかったソローキンの見た桜を鑑賞。

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誓いのコイン 南予特別公演に活かせる感情の波を頂けました。心から感謝します。

以前、演技指導をさせて頂いた八木佑輔くん、ロシア語を教えて下さったピアニストの池田慈さんも出演されていて、なんだか親近感だし。2人ともとても良い存在感を放ってて素敵だったし。

相変わらずイッセー尾形さんは最高だったし大満足。

 

そして、鑑賞後には東温市で一番、いや恐らくラーメンショップ中トップのスープの美味さである、ラーメンショップへ。

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ここのスープ、マジで美味いんだわ。

 

いや〜ラーメンショップって、チェーン店だしどこも変わんないっしょ。って思ってる方。マジでオススメです。考えが変わります。それくらい美味い。

何が違うのかもハッキリとは分からんのだけど、コク、後味のスッキリ感が他店舗さんとは別格。

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これがラーメンショップ川内店(桜三里にある店舗)の実力か。

 

スープをほとんど飲み尽くし、堪能しました。

 

明日はいよいよ南予特別公演の準備の為、南予入りします。

 

 

では、また。

 

 

あと5回で終わりなんだ

どうも、海渡です。

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誓いのコイン、本日も無事に終演しまして。

残りわずか、5回公演となりました。

 

切なすぎる。

 

 

毎回、作品との、役の人物とのお別れは切ないものですが。

 

誓いのコインは私の中でとびきり思い入れの深い作品ですから、よりその感が高いです。

 

もう、一生この作品が上演される事はないかもしれませんから。

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ボリス、セルゲイ、日本人憲兵、市民…役として生きた皆が私の中で息づいていて、いつでも飛び出せる状態。

 

だけど、もう終わりなんだ。

 

この約3ヶ月。毎回、妥協なく100%以上のパフォーマンスを出すつもりで生きてきました。それは、自信を持って書けますし、観て頂いた方にも伝わっていると思います。

 

鮮度高く、無駄な事、力を抜いて。歌・ダンス・会話の全てを、お客さんに最高のものを届けるために。

 

あらためて伝えたい。この作品を支えて下さった全ての皆さんに。心からありがとうございます。

 

誓いのコイン、最高に良い作品です。

 

千秋楽まで、最高のパフォーマンスをお届けして、有終の美を飾りたいですね。

 

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ある画家との出会い(長文)

 

どうも、海渡です。

 

ひょんなキッカケから、先日画家の方との出会いがあり、彼と電話で話した。

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上の絵はご本人とは何の関係もありません(笑)分かりやすいイメージを置いてみました。 

 

 

気が付けば2時間近くも通話しており、そのことにお互い驚きながらも楽しく豊かな時間を過ごした。

 

上手くまとめられるかは分からないが、会話の内容とそれに対して感じた事を書いてみようと思う。

 

まず、彼はSNSとメールを利用しておらず、連絡手段はTELかSMのみである。その為に通話で連絡する事となった。

 

彼はTVを見ない。

 

大学を出てから、バイト生活をしながら芸術活動をずっと続けた。

 

現在結婚しているが、絵画以外の仕事(家事を除く)をしていない。

 

これだけの情報でも本気度が伝わってくる。その理由はもちろん、絵画、芸術に全てを捧げているからだ。

 

幼い頃はサッカーが大好きで、プロのサッカー選手になると本気で取り組んでいた。実際に県の選抜メンバーとして活躍していたらしい。

しかし、自分以上の才能と体格、コーチングを受けた選手達との出会いから、高校まで本気で信じ続けた夢に対して、諦めに近い絶望を感じた。

 

大学時代は親に内緒でこっそり絵を習い始めた。

元々絵は好きだったが、知識はなかったし趣味程度に楽しんでいた。

 

その状態から、師匠に様々な画家や未知の絵の世界を教えてもらった事で、その蓋をしていた気持ちに拍車がかかった。

師匠は、彼の絵を見て「独特のセンスにギョッとした」。その言葉は決してマイナスでなく、むしろ肯定的な意味であった。

 

 

大学卒業後は、周囲の期待を裏切る形で画家の道を志し東京に飛び出した。

 

バイト生活をしながら、風呂なしアパートで睡眠時間を削って絵に没頭する日々。

 

栄養失調で、血便がドバッと出たり、自室で倒れこみ、なんとか外へ這いずり出て、階下にある中華料理店の方に介抱して貰ったり…その後お粥をご馳走になったり。

 

周りには「いつになったら辞めるのか」「まともに働け」という人もいれば、「無茶ばかりしてはダメだよ。応援してるよ」といって、援助してくれるひともいる。

 

彼は自分を信じ続けた。「私には才がある。きっと凄い画家になって、成功するのだ!」と。

 

一方で、素質はあるものの基礎技術の経験値が少ない自分の、いわゆる物差しのなさに、不安ばかりが募っていた。

 

また、東京での温かい人情に触れる度に、生意気な自分を情けなく思った。「俺は何をやってるんだろう」。

 

美大生に比べればはるかに遅くスタートした画家としての道。

基礎をしっかり学ぶ為に専門学校に通った時期もある。しかし、そのほとんどは、すでに自分が独学で行なっていた経験に近いものの再確認であった。「自分の失敗やこうすれば良い表現になる、というコツを、先人達が残した知識や言葉として知ることが出来て嬉しく感じたよ。」と彼は言う。

 

苦しいながらも、好きなものに打ち込む日々が、原石であった彼を削り、光り輝く宝石に変えていったのだろう。

 

自分を応援してくれる方との縁で、フランス留学をほぼ無償で出来るチャンスに恵まれた事もあった。しかし、彼はほぼ全ての準備が整った段階でこの話を断る決意をする。

 

ある人が言った言葉が耳に残っていた。「留学は難しいんだ。行くなら全くの素人か、自己の技法が確立した人でなければ得るものはない。むしろ混乱するだけだ。自分で自分を評価出来ないのだから」。

今の自分は、中途半端だ。どちらでもない。

むしろ、とにかく筆を持って、表現する事に集中するんだ。

 

娯楽の時間も、他者との交流も、犠牲にしていた。

学生時代から付き合っていた彼女とは、しばらくして関係を終えた。

とにかく20代は、がむしゃらに絵に打ち込んだ。周りの人間は、特に同じ芸術の道を進む者は全て敵に見えた。

若い時にありがちな、自信過剰や、未知なる将来に対する焦燥感に振り回された時期もあった。

「俺は、汚い色を美しく見せることができる」

「なぜ、あいつの絵が売れるのだ?買う方もどうかしている」

「自分の芸術を極めるのだ」

そして、またも倒れる…(笑)

 

そんな時、彼の絵が好きで、彼に絵を習うならどこが良いかと相談を持ちかける女性が現れる。知り合いに丁度そういう人がたまたまいたので紹介してあげた。

 

現在の彼の妻だ。

 

そしてある時、彼がついに生活苦が極まり、窮地に陥っている状態になった。相談をすると、彼女が当時の自室を彼に渡して、別に暮らしている父親と私が暮らすようにしようか?と提案してくれたのだ。

 

そんな女性がこの世に存在するのか?と思ったが、話を聞く限り受ける印象としては、

それ程彼の絵に打ち込む姿勢が極まっていて、放っておけないという彼女の母性を高めてしまったんだと思う。

 

それを聞いた彼女の父親が、色々察して(笑)「それなら2人で住めば良いじゃないか」と、背中を押してくれた。

 

考えれば、彼女の父親の立場なら「そんなやつ放っておけ!関わるな!」と言いたくなってもおかしくない話ではある。

 

しかし、彼女の父親も寛容かつ変わっていて、「画家という生体に興味がある」と、娘と共に暮らすことを認めてくれたんだとか。

 

結婚生活後も、彼女が基本的に働きに外へ、彼が家事をこなしながら絵を描き続ける。そんな夫婦の形になった。

 

ありふれた、いわゆる普通の暮らしでなく。画家との、特殊な楽しそうな暮らしを彼女は選択した。

 

「あなたは今のままで良い。そうでなければ出来ない事をしているのだから。」

そう言って、絵の収入を頼りにせず支えてくれる妻。

 

しかし、一度絵画の個展で得た臨時収入が入ると、いつのまにか妻の新しいバッグへと変わってしまうのだとか(笑)でも、それで彼は奥さんが満足してくれるなら嬉しいらしい。

 

そんな、夫婦のカタチ。私は良いなあと思う。

 

今でも、そんなストイックなライフスタイルは変わらず、15年以上続けられている。

 

彼の生き方。それは「徹底して絵と向き合い続けること」。絵を描く度、好奇心が湧き、謎が出来て、新たな絵を描きたくなる。

その為に、徹底して環境を整え、自分のレベルを上げ続け、実力をつけられるかに重きを置いている。

 

今は、自分の絵が世間に認められるかどうか、にはあまり興味がないらしい。もちろん売れた方が良いけれど、それは自分の芸術を極めればついてくる事。奥さんのバッグに変わってしまうし(笑)

 

絵は人生の縮図だ。

描くという行為。

明るい色も、暗い色も、閃いて置いてみたとしても自分の期待や理想に沿わない事も多い。

隣り合う色同士の組み合わせで綺麗にも汚くもなる。

沢山の不安定な時期を経験したけれど、絶望はしなかった。例えば絵の具のように、汚かったり、無個性に見えたり。魅力に感じないものがあったとしても。必ず拾われる、使われる事があるのだから。

度々、私は絵に救われてきた。だからこれからも絵を愛し続ける。

 

そんな時間でした。

長文になってしまいましたが、最後まで読んで下さり、本当に感謝です。

では、また。