ある画家との出会い(長文)
どうも、海渡です。
ひょんなキッカケから、先日画家の方との出会いがあり、彼と電話で話した。
上の絵はご本人とは何の関係もありません(笑)分かりやすいイメージを置いてみました。
気が付けば2時間近くも通話しており、そのことにお互い驚きながらも楽しく豊かな時間を過ごした。
上手くまとめられるかは分からないが、会話の内容とそれに対して感じた事を書いてみようと思う。
まず、彼はSNSとメールを利用しておらず、連絡手段はTELかSMのみである。その為に通話で連絡する事となった。
彼はTVを見ない。
大学を出てから、バイト生活をしながら芸術活動をずっと続けた。
現在結婚しているが、絵画以外の仕事(家事を除く)をしていない。
これだけの情報でも本気度が伝わってくる。その理由はもちろん、絵画、芸術に全てを捧げているからだ。
幼い頃はサッカーが大好きで、プロのサッカー選手になると本気で取り組んでいた。実際に県の選抜メンバーとして活躍していたらしい。
しかし、自分以上の才能と体格、コーチングを受けた選手達との出会いから、高校まで本気で信じ続けた夢に対して、諦めに近い絶望を感じた。
大学時代は親に内緒でこっそり絵を習い始めた。
元々絵は好きだったが、知識はなかったし趣味程度に楽しんでいた。
その状態から、師匠に様々な画家や未知の絵の世界を教えてもらった事で、その蓋をしていた気持ちに拍車がかかった。
師匠は、彼の絵を見て「独特のセンスにギョッとした」。その言葉は決してマイナスでなく、むしろ肯定的な意味であった。
大学卒業後は、周囲の期待を裏切る形で画家の道を志し東京に飛び出した。
バイト生活をしながら、風呂なしアパートで睡眠時間を削って絵に没頭する日々。
栄養失調で、血便がドバッと出たり、自室で倒れこみ、なんとか外へ這いずり出て、階下にある中華料理店の方に介抱して貰ったり…その後お粥をご馳走になったり。
周りには「いつになったら辞めるのか」「まともに働け」という人もいれば、「無茶ばかりしてはダメだよ。応援してるよ」といって、援助してくれるひともいる。
彼は自分を信じ続けた。「私には才がある。きっと凄い画家になって、成功するのだ!」と。
一方で、素質はあるものの基礎技術の経験値が少ない自分の、いわゆる物差しのなさに、不安ばかりが募っていた。
また、東京での温かい人情に触れる度に、生意気な自分を情けなく思った。「俺は何をやってるんだろう」。
美大生に比べればはるかに遅くスタートした画家としての道。
基礎をしっかり学ぶ為に専門学校に通った時期もある。しかし、そのほとんどは、すでに自分が独学で行なっていた経験に近いものの再確認であった。「自分の失敗やこうすれば良い表現になる、というコツを、先人達が残した知識や言葉として知ることが出来て嬉しく感じたよ。」と彼は言う。
苦しいながらも、好きなものに打ち込む日々が、原石であった彼を削り、光り輝く宝石に変えていったのだろう。
自分を応援してくれる方との縁で、フランス留学をほぼ無償で出来るチャンスに恵まれた事もあった。しかし、彼はほぼ全ての準備が整った段階でこの話を断る決意をする。
ある人が言った言葉が耳に残っていた。「留学は難しいんだ。行くなら全くの素人か、自己の技法が確立した人でなければ得るものはない。むしろ混乱するだけだ。自分で自分を評価出来ないのだから」。
今の自分は、中途半端だ。どちらでもない。
むしろ、とにかく筆を持って、表現する事に集中するんだ。
娯楽の時間も、他者との交流も、犠牲にしていた。
学生時代から付き合っていた彼女とは、しばらくして関係を終えた。
とにかく20代は、がむしゃらに絵に打ち込んだ。周りの人間は、特に同じ芸術の道を進む者は全て敵に見えた。
若い時にありがちな、自信過剰や、未知なる将来に対する焦燥感に振り回された時期もあった。
「俺は、汚い色を美しく見せることができる」
「なぜ、あいつの絵が売れるのだ?買う方もどうかしている」
「自分の芸術を極めるのだ」
そして、またも倒れる…(笑)
そんな時、彼の絵が好きで、彼に絵を習うならどこが良いかと相談を持ちかける女性が現れる。知り合いに丁度そういう人がたまたまいたので紹介してあげた。
現在の彼の妻だ。
そしてある時、彼がついに生活苦が極まり、窮地に陥っている状態になった。相談をすると、彼女が当時の自室を彼に渡して、別に暮らしている父親と私が暮らすようにしようか?と提案してくれたのだ。
そんな女性がこの世に存在するのか?と思ったが、話を聞く限り受ける印象としては、
それ程彼の絵に打ち込む姿勢が極まっていて、放っておけないという彼女の母性を高めてしまったんだと思う。
それを聞いた彼女の父親が、色々察して(笑)「それなら2人で住めば良いじゃないか」と、背中を押してくれた。
考えれば、彼女の父親の立場なら「そんなやつ放っておけ!関わるな!」と言いたくなってもおかしくない話ではある。
しかし、彼女の父親も寛容かつ変わっていて、「画家という生体に興味がある」と、娘と共に暮らすことを認めてくれたんだとか。
結婚生活後も、彼女が基本的に働きに外へ、彼が家事をこなしながら絵を描き続ける。そんな夫婦の形になった。
ありふれた、いわゆる普通の暮らしでなく。画家との、特殊な楽しそうな暮らしを彼女は選択した。
「あなたは今のままで良い。そうでなければ出来ない事をしているのだから。」
そう言って、絵の収入を頼りにせず支えてくれる妻。
しかし、一度絵画の個展で得た臨時収入が入ると、いつのまにか妻の新しいバッグへと変わってしまうのだとか(笑)でも、それで彼は奥さんが満足してくれるなら嬉しいらしい。
そんな、夫婦のカタチ。私は良いなあと思う。
今でも、そんなストイックなライフスタイルは変わらず、15年以上続けられている。
彼の生き方。それは「徹底して絵と向き合い続けること」。絵を描く度、好奇心が湧き、謎が出来て、新たな絵を描きたくなる。
その為に、徹底して環境を整え、自分のレベルを上げ続け、実力をつけられるかに重きを置いている。
今は、自分の絵が世間に認められるかどうか、にはあまり興味がないらしい。もちろん売れた方が良いけれど、それは自分の芸術を極めればついてくる事。奥さんのバッグに変わってしまうし(笑)
絵は人生の縮図だ。
描くという行為。
明るい色も、暗い色も、閃いて置いてみたとしても自分の期待や理想に沿わない事も多い。
隣り合う色同士の組み合わせで綺麗にも汚くもなる。
沢山の不安定な時期を経験したけれど、絶望はしなかった。例えば絵の具のように、汚かったり、無個性に見えたり。魅力に感じないものがあったとしても。必ず拾われる、使われる事があるのだから。
度々、私は絵に救われてきた。だからこれからも絵を愛し続ける。
そんな時間でした。
長文になってしまいましたが、最後まで読んで下さり、本当に感謝です。
では、また。