32⇒33の過程、【33】という記号を再考する
ども、海渡です。
誕生日を迎えました。
いつも私と繋がっていてくださり、時にはイイねやコメントで励まし、応援して下さる皆さま。
そうでなくとも「ああ、宇高海渡は今こんな感じか」と様子を見て下さっている皆さま。
本当にいつも有難う御座います。
感謝の心でいっぱいです。
これからも、長所は伸ばし、至らない所を自覚した時には反省、変わる仕組み作りをトライして、私なりの人生を、描いていこうと思います。
ここからは、私の一年を振り返ってみるので、お時間ある方は是非お付き合い下さい。
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33。
お兄さんと呼ばれるにはかなり無理がある、
おっさんさーんです。
この数字をどう取るか、人によって様々ですが、
私はまだまだまだまだ若いし青いし未熟。
と思っています。
若い頃にハマった「ケツメイシ」というJHIPHOPグループの「三十路ボンバイエ」という曲があるのですが。
「30代ってそんな老化するんか?おっさんになるんか?…そんな楽しいんか?」
「社会の不条理、理不尽な経験を通して、悪い意味で人生を妥協し、世の中の風潮や流行りに迎合し、思考停止で頭が硬くなった、柔軟性を欠いたオトナの一人として存在する様になるだけやろ」
と、若さ溢れる私はイキっていたのですが。
全然そんな事ないですし、30代はめっちゃ楽しいです。ま、老化は確かに感じるけどもね(笑)
私が恵まれた環境に居させてもらっているからというのも有りますが。
若い時分の私から見えていた未来像よりも、遥かに社会や人というのは複雑で(というより複雑にみえる様に出来ている)。
その世界に今までとは違う職種で、立場で、モノの見方で在るという事。それはこんなにエネルギーがいるし、大変ながらも楽しい事なのか、と。
ちょっと前は毎日舞台の上で観客を楽しませる俳優。
今は毎日子供たちが自分の周りに35人以上いて、その子達の一人一人の心身の安全性と成長を見守るリーダーという存在。
若い頃から毛嫌いしていた「先生」という呼び方。
気がついたら、自分が毎日そう呼ばれるようになっていた。
職種と立場は違うけれど、共通点はあるし、其々に活かせる経験値は山程あるという事に自身が驚かされます。
また、その経験を通して、結局「自分という人間の本質」は変わらない、という事をあらためて実感したからです。
私の核にある
「人生とは、宇宙が、地球が生まれてからの長い歴史から見れば、ちっぽけなものに過ぎず、点の様なものであり、星である」
「その短い命の輝き、星の光は情熱である」
「空間、社会的立場、権利、年齢という、人間が自由気ままに作り出した記号に囚われず、今を懸命に生きる」
その様なセルフマインドを再認識する年でも有りました。
子供たちにはそんな記号は大して関係がなく、
「自分の事をちゃんと理解してくれる、遊んでくれる存在かどうか」が大事であるという事(笑)それも大きな発見であり、面白い実感でした。
私達大人にとっても、普段は見ないフリを出来ているだけであって
「利害関係が発生しているか」「利害無しでも相互に協力せざるを得ない仕事があるか」という関係性の前に、
「この人、人々と一緒に遊んでいたいか、心地いいか、互いに理解したいと思えるか」
という、人間同士の原理原則の基に、居場所を見つけているのだなあと思います。
そう言った意味で、今年の一漢字を選べと言われたら、「悟」になるかと思います。
ただ、この悟というのも、これからの道程の中で
「ああ…!あの悟りには続きがあり、あの時には理解出来なかった。」
とか、
「ああ…!そもそも悟っているつもりで、何もわかっていなかった」(笑)
と感じさせられるような出来事、体験が待っているのだろうと思います。
そんな「ああ!そうか!」体験を、これからも自分の人生に期待しつつ、精進していければと思います。
長文になりましたが、最後まで読んで下さり有難う御座います💐