Diversion

俳優13年⇒学童の先生2年⇒現在飲食業サラリーマン。珈琲豆焙煎人でもある宇高海渡のユルかったり熱かったりするblogです。記事の内容は随時添削する事が多いので、あなたが訪れた2.3日後には少しずつ変化しているかもしれません。ご了承下さい

2021⇒2022

どぅも、海渡です。

明けましておめでとうございます。

旧年中は沢山の訪問と、記事を読んで頂き有難う御座いました。

 

お陰様で、このblog【Diversion】

合計18637回というアクセス数に到達していました。

 

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本年も、不定期にはなりますが、読んで頂いた方の少しでも考えるきっかけであったり、「ああ、宇高海渡は今こんな事を考えているのか」という一つの参考だったり、或いはお茶菓子というかおつまみというか…そんな存在で在れれば嬉しいです。

どうぞよろしくお願い致します✨

 

さて。

 

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毎年恒例、自家焙煎豆ART。
色々な意味合いを込めて…

今年の一漢字は、「翔」です。

 

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・誰かの為とかの前に「自分が楽しい!」と思えるか?
数年前から思いつきで始めたこのART。
最初は単なる暇潰しと、その年の自分に気合を入れる為の行為でありながらも「俺は一人でなにやっとんや…」と思っていました。

 

しかし今となっては「私だからこそ出来る一つの表現方法であり、極めていけばオモロいよね」と思いながら、新しい一年に思いを馳せながら創る有意義な時間であり、作品になっています。

 

・なぜ翔にしたか?

昨年の一漢字は「悟」でした。
今年はどんな一年になるかなーと考えた時。

またしても様々な事が変わる年であり、柔軟に、短期も中長期も思案しながら駆け抜ける。まさに「走りながら考える」事を求められる年になりそうな予感がしています。

 

そんな頭も心も身体もフルで動かして、与えられた環境で何が出来るか、どの程度コミット出来るのか、新たな課題は何なのかを探し、クリアしていく様相は、雛鳥が何度も何度も、羽を拡げて飛翔する訓練を行う様と似ているなあと感じました。

 

また、そのイメージに関連して有名なノミの実験の話を思い出しました。

 

【昆虫のノミは体長2ミリ程度なのだが、実は30センチも跳ぶことができるという。
 高さ20センチほどの瓶にノミを大量に入れると、ノミたちは当然のように、その瓶からはみ出すジャンプを繰り返す。だが、瓶にフタをしてしばらく置いておくと、フタの存在があることにより、ノミたちは次第にフタのところまでしかジャンプをしなくなる。そして驚くべきことに、フタを外してみても、どのノミもフタの高さまでしかジャンプをしなくなり、瓶をはみ出してジャンプするノミはいなくなってしまうのだそうだ。
 さらに恐ろしいのは、瓶の筒の部分を外してみると、ノミの集団はまるでそこに瓶があるかのように、瓶の形に沿うような高さでジャンプし続けるのだ。もうそこに瓶やフタは存在していないのに、「見えない枠」があるという思い込みによって、ノミたちは本来の力を失ってしまうのだ。

実はこの実験には続きがある。
 あることをすることで、この状況を劇的に変えることができるのだ。

普通に飛べるノミを1匹そこに入れ、そのノミが1回ピョンとジャンプをする。するとほかのノミたちも、「ああ、自分はそういえば跳べるんだ」と我に返る。そして、何事もなかったかのように、どのノミも元どおり30センチ跳び始めるのだ。】

(引用元リンク)https://diamond.jp/articles/-/99775

 

つまり、フタ・飛べないという枠、認識を自分で外してしまうか、それが難しいならば誰かに外して貰う、そして翔べる様を見せて貰うか、というキッカケさえあれば、また自分のポテンシャルを最大限活かした「JUMP」が可能であるという事でもあると。

今年はどうやらそんな年になりそうだし、そう在りたい!と思ったのが決め手でした。

 

また、年末にまさかの運命的な出会いとしか思えない様な出来事もあり、昨年に比べて飛行機に乗る回数が増えそうな事も、その理由の一つです。

 

 

皆さんの一年は、どうなるでしょうか?
漢字にすると、どんな一文字でしょうか?

 

本日はここまで。

では、また。

 

32⇒33の過程、【33】という記号を再考する

ども、海渡です。

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誕生日を迎えました。

いつも私と繋がっていてくださり、時にはイイねやコメントで励まし、応援して下さる皆さま。

そうでなくとも「ああ、宇高海渡は今こんな感じか」と様子を見て下さっている皆さま。

本当にいつも有難う御座います。
感謝の心でいっぱいです。

これからも、長所は伸ばし、至らない所を自覚した時には反省、変わる仕組み作りをトライして、私なりの人生を、描いていこうと思います。

ここからは、私の一年を振り返ってみるので、お時間ある方は是非お付き合い下さい。

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33。
お兄さんと呼ばれるにはかなり無理がある、
おっさんさーんです。
この数字をどう取るか、人によって様々ですが、
私はまだまだまだまだ若いし青いし未熟。
と思っています。

若い頃にハマった「ケツメイシ」というJHIPHOPグループの「三十路ボンバイエ」という曲があるのですが。

「30代ってそんな老化するんか?おっさんになるんか?…そんな楽しいんか?」
「社会の不条理、理不尽な経験を通して、悪い意味で人生を妥協し、世の中の風潮や流行りに迎合し、思考停止で頭が硬くなった、柔軟性を欠いたオトナの一人として存在する様になるだけやろ」

と、若さ溢れる私はイキっていたのですが。

全然そんな事ないですし、30代はめっちゃ楽しいです。ま、老化は確かに感じるけどもね(笑)

私が恵まれた環境に居させてもらっているからというのも有りますが。

若い時分の私から見えていた未来像よりも、遥かに社会や人というのは複雑で(というより複雑にみえる様に出来ている)。

その世界に今までとは違う職種で、立場で、モノの見方で在るという事。それはこんなにエネルギーがいるし、大変ながらも楽しい事なのか、と。

ちょっと前は毎日舞台の上で観客を楽しませる俳優。

今は毎日子供たちが自分の周りに35人以上いて、その子達の一人一人の心身の安全性と成長を見守るリーダーという存在。

 

若い頃から毛嫌いしていた「先生」という呼び方。

気がついたら、自分が毎日そう呼ばれるようになっていた。

 

職種と立場は違うけれど、共通点はあるし、其々に活かせる経験値は山程あるという事に自身が驚かされます。

また、その経験を通して、結局「自分という人間の本質」は変わらない、という事をあらためて実感したからです。

私の核にある
「人生とは、宇宙が、地球が生まれてからの長い歴史から見れば、ちっぽけなものに過ぎず、点の様なものであり、星である」
「その短い命の輝き、星の光は情熱である」
「空間、社会的立場、権利、年齢という、人間が自由気ままに作り出した記号に囚われず、今を懸命に生きる」
その様なセルフマインドを再認識する年でも有りました。

子供たちにはそんな記号は大して関係がなく、
「自分の事をちゃんと理解してくれる、遊んでくれる存在かどうか」が大事であるという事(笑)それも大きな発見であり、面白い実感でした。

私達大人にとっても、普段は見ないフリを出来ているだけであって
「利害関係が発生しているか」「利害無しでも相互に協力せざるを得ない仕事があるか」という関係性の前に、
「この人、人々と一緒に遊んでいたいか、心地いいか、互いに理解したいと思えるか」

という、人間同士の原理原則の基に、居場所を見つけているのだなあと思います。

そう言った意味で、今年の一漢字を選べと言われたら、「悟」になるかと思います。

ただ、この悟というのも、これからの道程の中で
「ああ…!あの悟りには続きがあり、あの時には理解出来なかった。」
とか、
「ああ…!そもそも悟っているつもりで、何もわかっていなかった」(笑)
と感じさせられるような出来事、体験が待っているのだろうと思います。

そんな「ああ!そうか!」体験を、これからも自分の人生に期待しつつ、精進していければと思います。

長文になりましたが、最後まで読んで下さり有難う御座います💐

俳優としての【知性】考

どぅも、海渡です。

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「もっと知りたい!」「なんだその思考?」と感じた人物の著書や文献は、出来る限り買う。触れる。その繰り返し。

 

最近、人間としても、仕事人としても全幅の信頼を置いている方と話している時、ふと


「(海渡さんの)その頭の良さってどこから来てるんですか?」

と聞かれたのが、とっても嬉しかったけど。


正直自分では頭が良いとこれっぽっちも思っていなければ、馬鹿だから努力しなければならないという、焦燥みたいなものさえもない。
つまり、よく分からない。

 

ただ一つ言えることは、俳優として様々な戯曲を読む、演じる事を通して、多種多様な人物として物事を捉える、実感する、リアクションする、「ドラマティックな体験を何度も繰り返す」という体験を繰り返してきたが故に、実生活で起きるドラマに対しても、色々な角度で「捉え、反応せざるを得ない」状態になること。

イギリス王家という、恵まれた出自を持ちながらも、世の中や自身の人生を憂う子息として。

常に下克上を夢見る召使いとして。

自分の運命を呪いながら生きている奴隷として。

ロシア戦争の最中に、捕虜として日本で生きているロシア兵として。

戦いに生きる獣の様な戦士、兵士として。

自分の性質(解離性同一障害)について、自殺したくなるほど悩んでいる男として。

自身の正義を貫く義賊(泥棒)として。

アラジンとして。

孫悟空として。

自然にただ身を任せる、水・風として。

或いは…etc。

つまりは、【本に記された筋書き、事実】という知識を【自身の身体を使って体現・実践する】事で、俳優として、1人の人間として生きるための知恵に変えてきたから。

 

ただし、あくまでも自分の触れたものや興味のあるものにしか深く踏み込めてない事で、偏りの大きい【知恵】でもあると。

 

また、俳優である以前に、1人の人間として昔から備え、育て続けてきた「知的好奇心の芽を育て、花開くまで水やりを続ける根気を持つ」ということ。
それを許してくれる親に育ててもらった事。

 

それが、他者から見れば、「頭の良さ」に感じられるのかもしれない。

 

それが、最も具体的な言語化された答えだろうか。

 

俳優としての知性というのは、それこそとても奥深いもので、非常に感覚的でもあり、理知的でもある。

本を通して作家が表現したいものを読み取る力。

役の人物に与えられた役割や性質を自分の身体に落とし込み、自身の身体で表現する力。

 

基本的にモノローグのみの戯曲でない限り、2人以上の登場人物が出てくるので、相手役、同じ空間に存在する者との、ドラマを実現、再現する為のチームワーク。

演出をつける上で、0⇨1を生み出すアイディア、閃きなど。

 

想像力、コミュニケーション能力、メタ認知能力、体現するのに必要な身体能力(柔軟性、筋肉の発達など)。

 

それに加え、趣味ではなく仕事としてやるならば、プロとして活動するならば。

イムリミットを意識し、アマチュアであれば3時間掛かる表現したいものの答えを導くプロセスを1時間で実現する能力を身につける。など。

 

俳優に求められることは多岐に渡る。

 

今の私に上に挙げたことが全て備わっているなどと、僭越な事は言えないけれど、表現者としての高みを目指すならば。

「自分の器を最大限に拡げる」覚悟は持っていたいと思う。

 

では、また。

 

今井純さん 台本のある芝居 11/1 フィードバック

どぅも、海渡です。

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今日のクラスでの気づき。
演出・監督に怒られたり貶されたり、全部答えを用意されるのではなく。
俳優と俳優が心地よく、主体的にシーンに臨む。演出はその補助をする。環境を整える。

心理的安全性を確保しつつ、未知の宇宙に飛び込む。そうあるべきだなって改めて感じるクラスだった。

今の社会やニーズに迎合した集団でも、自分たちの居場所を延命させる為の集団でも、懐古主義的な拡がりの可能性を絶った集団でもなく。

多様性がどうのこうのという前に。
その場にいるスタッフ・キャストが対等な立場である事という事を大前提にして。
知性・理性・研鑽された技術と本能をバランスよく使って、お客さんにとって新たな宇宙を見せる為の、誠実で真摯な集い。
そんな現場が増えれば、日本の演劇界はもっと豊かな、面白い世界になる。

あとは…抽象的な、日常生活では意図していない行動原理の一つ一つを具体的にする事とは、どういう事?というのを、実践を通してあらためて学び直している。
これが土台にあって初めて、観客の心を動かせるシーン、シナリオを「虚構であり真実であるもの」として実現出来る。

もっと先へ進もう。
間違ったら引き返して、また進もう。
それが許される場所を増やそう。

【今井純さん 台本のある芝居オンラインclassを受けて】

どぅも、海渡です。

 

岩松了さんの作品【赤い階段の家】にトライしています。

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ほんっとに謎が謎を呼ぶ本過ぎて。
時間泥棒が過ぎるよ岩松さん。

zoomでの複数のチームに分かれての、オンラインclassの良い所は、
「同じクラスの、別チームの人達のパフォーマンスとフィードバックも視聴出来る事。」
自分のチームがフィードバックしてる時は、その時気付いた事やアイディアをもらう事に集中していて、
もっと俯瞰的な視点でチーム全体・扱う戯曲・個々の俳優同士で【今向き合おうとしていること、その為に必要なこと】が見えてないことが多い。

自分のチームのフィードバックを振り返るよりも、他のチームの課題やその対策を知り得ることで、「ああ〜そういう事か・・!」と気づきを得ることが明らかに多い。

簡潔に書くと、「自分の事(特に問題・課題に気付く力)は自分が思っているよりも分かっていないし見えてない」という事。

互いの課題と対策立て、実践を見続けること、そのプロセスを観察・比較することは、とっても大事だと再認識する。
(どの俳優が、どのチームが優れているだとか、進捗状況の違いなどという、本質を見る際に余計な感情が出てきたら、それを流す必要は在るけれど)

1月まで残り約3ヶ月。
最後まで密度高いclassにする。

 

【戯曲を俳優自身が深く読解する事の意義】

どぅも、海渡です。

 

現在、今井純さんの「台本のある芝居」クラスを受けていて、戯曲の世界に飛び込む中で、その世界をより深く理解する事、その方法だけでなく、自身の蓄積してきた、演劇や演技に対する様々な事柄を「見直す」機会も頂いてます。

 

読み手によってはものすごく「ど〜でもいい」お話でもあるので(笑)

もし興味がある方は読んでみて下さい٩(^‿^)۶

 

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たとえ一旦仮説を立てた戯曲、役の解釈が、実感を伴わない、或はその作家の意図や、演出の指針と相違があるとしても。

役について、戯曲の世界について深く味わうという「俳優・役としての体験の層」が厚くなる事で、新しい解釈を取り入れた時の「実感の値(値とは、あくまでも主観ではあるが、客観的に「腑に落ちている」「実感を伴えている」と評価される事も多い)」がより高くなる、その分相手や周りの世界とのコネクトも容易になる。

最終的には「自分の表現への意識・重さが軽くなる事」で、「戯曲の世界・相手役」「観客」への意識、繊細かつ大胆な、即興的コミュニケーションの実現が可能になる。

(これを理解していない俳優は、ひたすら「自分が決めた」「演出家につけられた」演技、表現に固執・縛られていて、イレギュラー、その瞬間瞬間を「役として相手役と生きる」即興的なコミュニケーションに対応出来ない。観客から見て「堅い」「人間ではなく俳優に見える」「感情移入できない」と評価される)

【時折、「何で戯曲を読めないと良い俳優ではないのか?何が違うのか?」という議論が為される度に、「なぜだろう」と思っていたけど、ようやく「実感を伴う」言語化ができた。成長!

かつて、現場の稽古中に宮田慶子さんが「新しい解釈、提案をするなら思い切ってやんなさい。大は小を兼ねる。」と仰っていた。これの真の意図は「間違っていても、とにかく思い切ってやるだけやってみないと。新しい、観客を魅了する演技の提案は構築し辛いのよ」と教えてくれていたのかもしれない。】

 

今回はここまで!

では、また。

音楽朗読劇「100万回生きたねこ」ゲネプロ終わりに。

どぅも、海渡です。

 

勤めている学童CLUBのイベントの一つとして、稽古を進めてきた音楽朗読劇「100万回生きたねこ

保護者の方と子供たちには短めのタイトル

「ほんき朗読LIVE」と伝えて。

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そのゲネプロ(本番同様のリハーサル)が終わりました。いよいよ明日、子供たちの前で本番です。

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もう…これで…終わってもいい。ありったけを…!!(わかる人にはわかる)

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ふり返りの為に一人でゲネプロの映像をチェックしている時、不覚にも泣きそうになりました。

それは、自分たちの表現に酔いしれて…というナルシシズムではなくて。

 

こんな時勢で、、演奏のプロの方と本気で表現が出来る。

それを普段から、学童CLUBという空間で、互いに学び合っている子供たちに、見てもらうことが出来る。大人の本気の表現とはどういうものかを。

 

なんでこんなに連日のように仕事終わった後に、頑張っちゃってるんだろうとも思ったけど。
それは子供たちに良いもの見せてあげたいという気持ちのみならず。

私自身が妥協せず表現に生きてきた、それが今こうして、「演劇のプロの現場」以外の場所でも活かされている。

また、その現場では絶対に味わえない楽しさや喜びを、味わっているからなんだろなと感じる。

その証拠に、蓄積疲労が取れず、少ししんどいかもな…と思っているのとは裏腹に、明日で稽古も本番も終わってしまう…という事に寂しさを感じている自分がいる。

 

とにかく、悔いなく、頭はクールに。心はホットに。やりきるのみ。

 

では、また。