Diversion

俳優13年⇒学童の先生2年⇒現在飲食業サラリーマン。珈琲豆焙煎人でもある宇高海渡のユルかったり熱かったりするblogです。記事の内容は随時添削する事が多いので、あなたが訪れた2.3日後には少しずつ変化しているかもしれません。ご了承下さい

子供を叱った → 子供と紐解いた

以前「子供を叱った」というタイトルでFacebookに投稿した記事をこちらでもシェアしたいと思います。merry atticを通して出会った様々な先生との対話の中で、少しずつですが言葉の選択肢、深さを広げ変化させていきたいと考えているので、内容を加筆修正して掲載しています。ご容赦ください。

 

【子供と紐解いた】

チャンバラ遊びをしていて、後ろから不意打ちをくらい、その子に正当防衛以上の力を使ってやり返した子と、不意打ちを仕掛けた子に対して。(喧嘩の仲裁)

不意打ちを喰らった子をA
仕掛けた子をBとする。

Bは不意打ちの前から、Aにちょっかいを出されてストレスを抱えていて、それを不意打ちという方法で表現した。

Aはその行為に怒りを抑えられず、Bにこれでもかという反撃を加えた。(スポンジで出来ているため軽症)その打撃(8発)が2、3発顔に直撃。
耳や目に当たれば軽症では済まなかった。

B、身体と精神的ダメージが大きく号泣。それを見て、Aは当然お前が悪いと言う姿勢で見て見ぬ振りをしている。

どちらの正義も理解し、咀嚼した上で。2人に分り合うためのガイドをした。

私自身、一方的な説教というものに納得出来ないタチなので、「対話」をした。

冷静に状況を整理して…何が悪くて、代わりにどうすれば良かったのか。一緒に考えた。

とにかく謝れ、ではなく、自分の行いの至らなさを理解して、真摯に向き合うこと。相手に誠意を伝えること。

 

Aの気持ち

[性質](普段の様子から受け取れる気質)

とにかく何でも他の子より優れていると感じたい。チャンバラも強い!と自身で感じている。負けるのは恥ずかしいこと。ルール破りも同じく恥ずかしい(時折自身でわざと破ることもあるが…)。グループでルール破りの遊び方をしていた時に、先生にダメだよ!と言われて「〜さんがやってたからだよ」と他人に責任を擦りつけることがしばしばある。

[心理]不意打ちをした相手が絶対に悪い。

ちょっかいを出したのはふざけていたからで、チャンバラのような勝負事はふざけないでやるべきもの。

やり返されて当然。私は悪くない。

 

[ガイド]そもそもちょっかいを出してた時点で、Bはイヤな気持ちになってたよ。

不意打ちをしたのは確かに良くないことだけど、だからといってたくさんやり返していいことにはならないし、それで眼が見えなくなったりしたらどう思うかな?自分がそうなったらどうかな?

 

Bの気持ち

[性質]

自尊心が高く、子供たちにはリーダーシップを持っている人として、大人たちには周りの子たちより優れている人として、注目を浴びたい(と見える)傾向が強い。悪戯好き。

自分の中の「正しさ」が強くあり、それに反する他人の言動にツッコミを入れたくなる。

誰かと一緒に行うゲームのルールを様々な視点で考えて(自分にとって)面白く変えて遊びたいと思い、変えてしまう時がある。

 

[心理](チャンバラ前に)ちょっかいを出されていたから、報復してやりたい。

チャンバラをやっていて、正面からやり合って上手く勝てないでいたから、後ろから隙を見て叩きたくなった。

たくさん叩かれて痛いし、自分の正しさを暴力ではじき返されて悔しかった。

 

[ガイド]

ちょっかいを出されてイヤな気持ちだったね。

そういう時は、自分だけで解決できないなら、先生に相談してもいいんだよ。

チャンバラで上手く勝てないから、別のさくせんで闘おうという新しいことが思いついたのはすばらしい事。でも、不意打ちをしたのはルール破りだし、ずるい事。相手が怒るのも先生は分かるよ。Bもわかってやっているよね?(B、頷く)じゃあ、次からはルールの中で勝てる方法を見つけよう。別の遊びでも同じだよ。

 

先生の思い

[軸となる思い]

それぞれの[正義]と[感情]を紐解いて、クールダウン(気持ちの整理、共感と事実把握)し、介錯人となる。ぶつかることは悪いことではなく、お互いの学びの機会。

[当時の目的]

上記と同じ→相互理解。事象を他人事ではなく、自分ごととして捉えてほしい。

落ち着いたら別の遊びで遊んで、帰るまでの間楽しい時間を過ごしてほしい。

 

2人とも、少し腑に落ちない表情をしながらも、最後には納得してくれ、相互に謝り、3分後にはケロっとしてまた遊んでいた。

しかし、必ずこの体験は心に刻まれたのだろう。

小さい頃に叱られた記憶は、個人差があるものの大人になってからも思い起こせる人も多いのではないかと思う。

私はある時、親父に理不尽な叱り方をされて全く理解が出来なかったし、むしろ怒りと悲しみの渦の中で眠った記憶が未だに忘れられない。だからこそ、絶対に同じ想いはさせるまい!と思えたのかもしれない。

日々…私が彼らに教えていること以上に、彼らから学ばせてもらう事の多さ、大きさを噛み締めている。

 

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↑Bが作ってプレゼントしてくれた折り紙サイコロ。それぞれがとても愛らしく、素晴らしい個性を持った人達である。

「子供の成長に携わるということは、子供の未来を一緒に見て、超目的を見据えることなのだ」
ということを、直観的に感じた一日でもあった。もっと分かりやすく言語化出来るようになりたい。