日々の公演の狭間に
二学期の旅公演がスタート。日本全国を回る生活が再開。
とにかく移動時間が長いので、車の中で仮眠以外の事をしないと落ち着かない。
読書だったり、こうして携帯で考え事を書き出してみたり。
幼年期には、日記はあまり書く習慣がなかった(夏休みの課題の絵日記は大嫌いだった!!)のですが、この仕事をすると決めた時から、細々と不定期に書いていました。
書き出した後の、スッキリ感。
そして後から見直した時の、「あの時こんな事を考えてたのか!そしてそれをこんな言葉で表現していたのか!」と、まるで別人の書き物を読んでいるような不思議な感覚が、この作業を続けさせる小さな原動力となる。
子供達の前に出て、私自身とは違う存在として登場し、演技を通して楽しんでもらう。
よくよく考えると、とても不思議な事をしている。
全くの初対面なのに、舞台装置と演技によって、彼らにとっての馴染み深い空間である体育館が、すこし形を変えて彼らを迎える。
彼らは少し戸惑いながらも、お話の中に入って、私たちのplayを通じて笑ったり、憤ったりしている。
劇、とは本当に不思議で愉快なものである。
あっという間に人の心の中に入っていく、良くも悪くも。
その公演が上質なものであればあるほど、心が影響を受けて、彼らの感情を揺り動かす。
私自身、そもそもなぜこんな人生になっていったのかなあと考えることがたまーにあるが、毎回思い出しては、小学生の頃からやっていることがあまり変わっていない事に驚く。
小さな頃から自分がおどけて見せて、他者を楽しませる。道化のような存在であることを好んでいた。
また、一人遊びが得意だった。その内容はというと、自分の持っているおもちゃや人形に名前をつけて、背景を考えて、全く違う作品のキャラクター同士のifストーリーを考えるのが好きだった。ほぼ芝居作りの基本である。
また、学校の催しで劇関連のものがある時は、なぜか率先して受けていた。または、周りからやれよやれよと勧められていた。悪い気はしないので、毎回絶対面白いものを作ってやるぞー!と意気込んでいた。
そんな幼年期を過ごした私は、中・高生になって、地元の市民劇団に所属する事となる。しかも、親の勧めで。
最初はそこまで本気じゃなかったけど、やり始めたらとことん追求する性質が故に、恐ろしいほどハマってしまった。
そして今は、プロとして人の前に立って、芝居をお仕事として続けている。そもそも「プロ」というものが何なのか、よくわからないまま目指し始めて、早くも12年が過ぎようとしている。少しずつではあるが、掴み始めたものはある。
だが、まだまだ遠い。よく分からない、しかも色々な分かれ道のある迷路を彷徨っているよう。
この道を進んで行った先には一体何があるんだろう、何も分からないけれど、とにかくこの道で生きる為の仕事道具を磨き続ける。そんな日々である。
俳優という仕事は、本当に孤独である。
仕事がない時は己の技に磨きを掛け、仕事の時は能力発揮して、お客様の心の浄化のお手伝いをする。
ひとたび公演が終われば、カンパニーは解散し、またそれぞれの道に分かれていく。
でも、お客様の感動のお手伝いが出来たな、と確信に近い仕事が出来た時に感じる、多幸感たるや、他にかけがえのない思いがするものだ。
幼年期からそんな事ばかりやっていたから、私自身が、子供のような純真さをその度に取り戻しているのかもしれない。
今の仕事で、子供達の目の前に立っている時、その瞬間は一切考えないのだけど、公演が終わるとそんな事を感じる。
私自身がそうであったように、彼らにも劇に目覚め、劇を通じて何かを学んだり、人の心の浄化の手助けをする人達が現れる事を期待している自分がいる。
次世代を担う彼らの心の成長に、少しでも貢献したいと、心から感じる。
ああ、次こそは緩い内容を!(笑)