あの日 を製作するにあたって 1
どぅも、海渡です。
今回は、私が脚本、演出、制作、道具製作、出演をする自主企画「あの日」について、書いてみたいと思います。こうやって書くと色々やってる感がすごい。要するにプロデュースです(笑)
この作品の出現の過程を書いてみます。
お遍路さんどうぞ(2016)の出演を終えてから、しばらく私は舞台から離れてベラルーシという国に3ヶ月間の留学と、その前後にバイト生活をしていました。
もっと沢山の人やもの、考え方に触れて、幅広い役の人物を演じられるようになりたい。その演技を身につけるための、私自身の「実体験ストック」を増やしたかったんです。
その生活の中で、色々な出来事や感情の振れ幅を体験していました。そうすると、私の中で「こんな人物がいて、こんなドラマがあって、こんな言葉を使ってて…」というシナリオの断片的風景が浮かび上がってきました。
その散らばったパズルのピースを繋ぎ合せていった結果、出来上がったものが「あの日」という作品でした。
出来上がった当初、今までには感じ得なかった「作品を生み出す」という事の素晴らしさ。
それと同時に「いったいこの子どうすりゃ良いんだろう」という新たな課題に出会いました。
私は「自己満足的な時間」を感じる舞台や音楽、ダンスなどのパフォーマンス、あるいは日常にありふれたナルシスティックな会話が苦手な部分があり、自分の表現においてもそういったものが起こる事を抑制する事が多いです。
伝える、という事は他者に影響し、活かすこと。
余程の意図や衝動がない限り自分本位な表現は律するという事に注意を払っています。
オリジナルの作品というのは、それそのものが「自分本位」なものです。思想、主義、展望、欲望…言葉の一つ一つが、作者のアイデンティティの断片であり、枝葉であり、塊である。それを自分が出演して、周りの人を巻き込んで、お客さんに見て頂く。それだけの価値があるものなのか。
とてもではないですが、作品を書き上げたばかりの私は、自身が生み出した初めての作品に対して、信頼出来ませんでした。
しかし、沢山の作品や考え方、人と触れ合う事で、私自身にしか見えてない世界を信じる、貫く、世界にぶつけてみるというのは、「有り」なのかもしれないと感じるようになりました。
むしろ、今まで沢山の作品を書いては上演してきた先輩方がどうであったのか、は分からないが、皆さん一番最初は不安だったり、反対に自信過剰だったりしながら、エイヤッ!と初演を経験されてるんだろうと。
それを色々な言い訳をつけて、避け続けるのは楽な選択肢だなぁ、と思ったんです。
迷った時には、苦しい方の道を選べ。その言葉が全身を巡りました。
だから、せめて現時点で出来る、この作品のポテンシャルを存分に発揮するための方法を探って、お客さんに届けてみようと決断するに至りました。
私はこの作品を出来る限り客観的に読んで、繰り返しその言葉に涙しました。そんな自身のナルシシズムにうんざりした時期もありました。
ただ、今は観に来てくださるお客さんにとって、その感動をしっかり分かち合えるよう、作品作りに取り組んでいます。
是非、会場に足を運んで頂ければ嬉しいです。
2020年2月に公演を予定していますが、今のところ回数は一回きりにしようと思っています。
また、こんなに書いておいて何なのですが、チケット予約方法などこれから告知していきますので(笑)しばしお待ち下さいませ。
では、また。