うた遊びの会の振り返り。大切な気づきメモ。
どぅも、海渡です。
今日は久しぶりに開かれた
「JAMJAMうた遊びの会」
に参加してきました。
写真は今回降り立った乗り換えの駅。
ちょっち前に自作の仮面(未完成)に
「小平」さんて名前を付けたばっかしなので、小平には妙な親近感が湧いており、今回もどうやら引き寄せてしまったようです。
↑小平さん途中経過。怖。
そして、始まるimproと歌・piano 生演奏のセッションの時間。
ピアニストのTくんが来る前に身体を使うアップ・音階練習などをやって。
Tくん合流後はひたすら「実践!」な2時間。
即興で役の人物の背景と、グループならば共演者との関係性、「お題」的なものを決めて。
Tくんに1.2音の「ヒントの音」を貰って、即興で歌詞を作りながら、全ての言葉を音に乗せていきます。
こんな贅沢な時間あるだろうか?いや、ない。
本当に毎回楽しく、クリエイティブな時間。
振り返ると反省というか
「こうだったらもっと楽しめた、相手役の方・ピアニストTくんを楽しませてあげられた」
と思うことはたくさんあるのだけど…
総じて言うなれば
「自分の歌詞の語彙・音楽のリズムのスケールの持ち玉がもっとすぐに引き出せる、使える状態でありたい」
ということ。感度、あげておきたいねって。
即興をする中で、
せっかく良い音を貰っても、テーマや役をもらっても、良い流れを作れそうな予感がしても。
そもそもの「基礎・地盤」が脆弱なところに建物は立たないのと同じく。
もっともっと基礎を固める努力が必要不可欠に感じた。
・普段からヒントを貰う行動
⇒ジャンル問わず幅広く音楽を聴く、味わう。
様々な音楽の構成や、singerの工夫をマネする。継続して良質な、影響力の高い映画を観る、本を読む。
・なぜ?どんな風に応用できるの?
⇒なにがどの様に使えるかを考えるのでなく、まずはinputを継続する。
いつの間にか引出しの中身になっている事もある。
過去に歌唱指導の先生に「とにかく歌え。下手くそでもなんでも良いから数をこなして、好きなものを深めたり、苦手なことを見つけ、克服して、自分という【楽器】を育てて。」と教わったけど、本当にそう思う。まず数をこなさないと見えない世界が有る。
あとね。
今日の時間を過ごしている中でも思ったのだけど、今のお仕事「子どもと長時間共に過ごす職業」というのが、クリエイティブな時間にとってとても良い作用を及ぼしているなあ、と感じたんです。
プロとして俳優をやっているだけの時、私はいつも強い自責と他責の念が付き纏っていた、それに囚われていた気がするんです。
「あそこがもっとこうすればお客さんに喜んで貰えそうだな」
「でも自分にはこれが足りない、もっとこうあるべきだ、まだまだだ。やるぞ」
みたいな、昔から向上心の高さは相変わらずなんですが。
その副作用として他人にも同じ様に「自己課題を押しつけている」自分がいた気がするんです。
そんなこと、しなくていいのに。
「わたしはこれだけやっている。あなた(たち)ももっとやりましょ」
みたいな。
勘違いも甚だしいというか(笑)空回りしている時期あったなあ。
今は自分に対しても、他者に対しても。前に比べると「今の自分のベストを尽くそう」「失敗してもOK」「良いもの、できたら良いね」と。
まず「そもそも過剰な期待をしない」事と、
「クリエイト」どうのこうの以前に、
【安心して相手や自分にとっての挑戦という名前のプール(宇宙)に飛び込める環境作りをしよう】
【互いにとっての気持ちいい時空間作りをしよう】
というメンタリティーが、以前よりも高まってる様な気がします。
それは子ども達と関わる上で、普段から周りの方々や自身が気をつけている事であり、それが習慣化した結果なんだと思いますが、クリエイティブな時間においても非常に重要なことだとあらためて認識しました。
そういったメンタリティーが土台にあるおかげで、子どもたちの「あそび」も不安・不満なく楽しめているのだろうと思っています。
子ども達と遊んでいる時の「発想力・応用力」そして何より「今ココ(瞬間瞬間に没頭する・生き抜く)力」には毎回驚かされるばかりですが、それにはやはり、その場における心身の安全性(適度なプレッシャーがある状態)、楽しむための空間作りが大切なポイントなのだと。
明日からの保育の為の学びも得て、ホクホクな感じです。ありがたや。
では、また。